金以外に何を得た?オーストラリアのワーホリ生活20ヶ月をふり返ってみた

2017.12.29 07:00 
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オーストラリアのワーホリ生活20ヶ月が終了。何を想い、どんな事をしていたのか…本人も記憶がおぼろげになってきたのでここらへんで一発振り返ってみましょう。

 

オーストラリアのワーホリ生活20ヶ月をプレイバック!

안녕하세요(アンニョンハセヨ)!

極貧バックパッカー改め「オーストラリア出稼人だった」植竹智裕(うえたけともひろ)です。

現在は日本で短期バイトを見つけて毎日正装で売り場を駆け回ってはいるものの、東京は愛せど何も無い気がしてしまって日々悶々としております。

嗚呼、韓国に住みたい。

そんな余談は置いといて、今回はオーストラリアワーホリの総集編!では早速……プレイバック!

 

>> オーストラリア・ワーホリ連載の今までの過去記事はこちら

 

20ヶ月に及ぶオーストラリア生活で一体どんな事が起こったのか振り返ってみましょう。

 

第1期(2〜7月) セカンドビザ取得の為にファームへ

アデレードに降り立ち、銀行口座開設や働く為の書類準備をして、
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まずはセカンドビザを取る為に向かったレンマークでライムを摘む事に。
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色んな国から来た約30名とひとつ屋根の下で暮らして沢山友達が出来ました。
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赤ワインを夜中2時まで飲んで、翌朝6時半には仕事に出発するという破天荒な毎日。

 

思えば20ヶ月の間で最もインターナショナルな生活をしていたのもこの頃。
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自炊経験皆無で最初は豪勢に牛肉を焼いて節約したつもりになっていた僕もイタリア式の節約生活に移行しました。
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周りに遊ぶ場所が少なく、当時オーストラリアで先行リリースされたポケモンGOをやりながら街を徘徊する毎日でした。

 

貯金 ★★★★☆
英語 ★★★★★

 

第2期(7〜3月) ファームに飽きてメルボルンで都会暮らし

ファームでの暮らしに飽きた僕が向かったのは大都会メルボルン。
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最初の6ヶ月はバッパーで暮らしましたが、急な値上げの為に引越しをしました
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引っ越した先はサウナやプールも完備高層マンション22階

 

恐らく人生で一番いいところに住んでいました(8人暮らしですが)。
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仕事はレジュメを配って見つけた日本食レストランでまずは4ヶ月働きました。
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時給が低かったのにフリーマーケットに行ったり、
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友達とトリックアート美術館に遊びに行ったり、
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ハロウィンパーティーをしたり、
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飲みに行ったりと毎週遊び呆けていたので貯金は出来ず。
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気温37度、人生で初めての灼熱のクリスマスを体験したのもこの頃です。
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決意をして違う日本食レストランで働き始めるも、なかなか稼げず。
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そして友達とファームに行く決意をしました。
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貯金 ★★☆☆☆
英語 ★★★☆☆

 

第3期(3〜5月) 再びファームへ(陸の孤島・カブルチャー)

友達のセカンドビザ取得に付き合ってブリスベン近郊のカブルチャーへ向かいストロベリーファームで働く事に。

そんな僕を待っていたのは大半がアジア人、大好きなお酒も禁止、周りは山か畑か牧場という陸の孤島のようなファームハウス生活でした。
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仕事ではフィリピン人のおばちゃんの怒号が鳴り響く中、イチゴのプランティング、そしてカッティングをやりましたが、天候やシーズンのずれ込みのせいで仕事がない日や短い日が多くそんなに稼げず。
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電車に乗ってブリスベンまで遊びに行って街中のオアシスで泳いだりお酒を飲んだりと相変わらず浪費癖は治りませんでした。
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そして、稼げない状況の中、日本人同士がモメたり、仲良くなった韓国人グループが出て行ったり、その後日本人が大量投入されるという理由から僕も韓国人と一緒にファームを出る事にしました。
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貯金 ★★★☆☆
英語 ★★★★☆
韓国語 ★★★★☆

 

第4期(5月) 迷走初期 in マンダベラ

韓国人といちご畑を飛び出し、サンシャインコーストで仕事にありつけなかった僕は彼らと迷走を開始しました。
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韓国人コミュニティの伝手で向かったマンダベラではシーズンが既に始まっていて人手が足りていたので仕事が見つからず
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夜中に車でバンダバーグまで行ってトマトを摘んだ事も。
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結果として稼げずに1週間で引っ越しましたが、大好きな仲間と初めてのキャラバンパーク生活は刺激的でした。
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貯金 ★☆☆☆☆
英語 ★★★★☆
韓国語 ★★★★☆

 

第5期(5月〜6月) 迷走中期、またまたファームへ(レンマーク)

マンダベラで出会った韓国人のマンダリンおじさんの勧めでまさかのレンマーク再訪を決めた我々。

カンガルー飛び出しに怯え、2匹接触してバンパーを大破させながらも19時間ものドライブの末、レンマークへ。
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韓国人と少数の日本人が働いている環境で再びシトラスを摘み始めました
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日替わりであれでもないこれでもないとレモンを摘んだりオレンジを摘んだりマンダリンを摘んだりする中、韓国語での作戦会議にイマイチ参加しきれていなかった僕が勉強に力を入れ出したのもこの頃。

家は真冬に暮らすには心細いシェアハウスでしたが偶然にも定員と我々の頭数がぴったりだったので我々6人だけで独占できました。
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休みは家から出ないので他の人との交流はありませんでしたが毎日一緒にドラマを観て、一緒に韓国料理を食べて、あみだくじアプリの敗者が洗い物をして……と平和な日々でした。
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貯金 ★★★☆☆
英語 ★★☆☆☆
韓国語 ★★★★★

 

第6期(6〜10月) 迷走後期、屠殺場勤務開始

ファームでも思うように稼げなかった我々が夜逃げのようなスピード感で向かったのがナラクートという街。

早速働き始めた牛肉工場では最初の4日間ロードアウトという積み荷の管理、

その後は屠殺場で牛の生首を洗うポジションに。
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イチゴ摘みに都会を出たはずなのに毎日血まみれでした。
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上司は白人、同僚は中国、台湾、フィリピン、インドネシア、アフガニスタンなどなど多種多様でしたが、休み時間にちょっと話す以外は「ホッホッ、ハッハッ」とゴリラ語でのコミュニケーションだったので英語は上達せず。

最初はホテルで暮らしましたが不便で不気味だったので
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家を借りてマイホーム生活をスタートさせましたが、
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お互い慣れてきて尖った言葉を言い合ったり、途中で3人がシドニー行きを決意したりと波乱の連続
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3人暮らしになってからは会話も減ったり、小言を言われてすねたり言い合いをしたりとこの世の終わりのような気持ちでしたが、それでも一緒にドラマを観たりお酒を飲んだりと決裂はせず。

むしろ今ではこの2人が一番よく連絡を取り合う仲に。

 

口調が強めの2人と暮らす中、毎朝一緒に車に乗って出勤していた10歳年下の新しい弟(癒し系)が頻繁に家に遊びに来てくれるようになったのも僕の中では大きかったです。
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更に、牛肉工場で働く韓国人コミュニティと仲良くなってからは他の2人を残して毎週末新しい弟の家でみんなで集まってお酒を飲んで思ったよりも楽しい生活になりました。

(最終的には牛肉工場辞めたくなくなるほど)

ちなみにお給料は初めてオーストラリア正規の最低時給を貰えたので安定しましたが、家具を買い揃えたり車を修理に出したりと出費もケタ違いだったのでなかなか貯まらず。

 

貯金 ★★★★☆
英語 ★★★☆☆
韓国語 ★★★★★

 

第7期(10月) 最後の迷走

もともと10月上旬で工場を辞めてシドニーへ行こうと決めていた我々は最後にロードトリップをする事に。
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新しい弟を含めて4人で南オーストラリア、メルボルン、キャンベラと巡ってゴールのシドニーへ。
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1人増えましたが久々に7人の迷走兄弟が揃ったのも束の間、ここで他の3人ともお別れ。
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最後の最後まで泊まる場所の事で言い争ったり、シドニーに着いても韓国料理ばかり食べに行きたがるので、早く一人でまた自由に暮らしたいという憧れがあったのですが、最後に空港で新しい弟を見送り、韓国人街の駐車場で残りの2人を乗せた車を見送った時は放心してしまいました。

 

第8期(10月) 帰国を決意

シドニーで帰国までの1ヶ月、仕事を探すつもりでしたが、諸々の事情で帰国を決意…。

シドニーで1週間ぼーっと暮らした後はメルボルンでお世話になった方々に挨拶をして、友達と遊んで、もはや外国とは思えないくらい愛着が湧いてしまった韓国で5日間遊んでから、日本に帰国しました。
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貯金 ☆☆☆☆☆
英語 ★★☆☆☆
韓国語 ★★☆☆☆

 

20ヶ月のワーホリ生活で最も実りがあったもの

結論から言うと、当初の目的だったお金はあまり貯まりませんでした

来年のタックスリターンまで銀行口座を維持する為に2000ドル置いてきたのでむしろ今現在困窮している程です。

英語も一度伸びたのですが、その後は使う場所が限られてしまい、緩やかにレベルが下がっている気がします。

 

それに対して……何なのこの韓国語の上達っぷり(笑)

 

まさかオーストラリアで韓国語の教科書を取り寄せる事になるとは思いませんでした。
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今では教科書に載っていないような言葉ばかりを話す弟たちとも40分近く電話するまでに成長しました。

レンマーク時代に仲良くなった色々な国の友達、メルボルンで一緒に働いた仲間たち、カブルチャーで知り合った仲間たち、ナラクートで知り合った仲間たち、

そして6ヶ月間生活を共にした韓国人の兄弟たち……素敵な出会いは沢山ありました。

 

それともう一つ思いがけない収穫は「外国語を話す事に恥じらいが無くなった」事です。

よく日本人は文法や発音を気にし過ぎて外国語を話せないと言いますが、日本で外国人がよく来る職場で働き始めたところ、相手が英語話者、韓国語話者だったら文法は置いておいて物怖じせずに対応できるようになりました(なっていました)。

オーストラリア出稼ぎぼろ儲けを期待して下さっていた方にはご期待に添えず申し訳ありませんが、植竹智裕、一回り大きくなって帰ってきました。

 

引き続きオーストラリア関連の記事をご紹介する事もあるとは思いますが、ここまでお読み下さりありがとうございました!
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>> オーストラリア・ワーホリ連載の今までの過去記事はこちら

 


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植竹 智裕
1986年、東京都多摩市生まれ。会社を辞めて早5年、世界一周・旅行記出版を夢に俳優業など手を出しつつゆるやかに資金を貯めてきた植竹、ついに日本を飛び出し世界から色々な体験記をお届します! 帰国後のお仕事のご相談もお待ちしております!旅のオフショットはインスタで。ブログTwitter

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