村民が労働者となり自給自足しているとされる、ブラジルの日本村「弓場農場」。旅人の間で噂になっているこの村へ、あえて訪れてみることにしました。
こんにちは。世界をゆる〜く放浪中の旅人カイです。
ブラジルの西部に自給自足をする日本人たちの村があるというなんとも興味深い情報をゲットした筆者。
なんとその村では労働力を提供する代わりに飯も寝床も無料というではありませんか。
海外放浪も長くなってきて「そろそろ働きたいなあ」なんて思っていたので、喜び勇んで行ってみることにしました。
今回、わたしが情報を聞きつけて向かったのは「弓場農場」という日系人の村。農場という名前がついていますが、なんでも村人全員で一つの農場を経営しているらしい。
サンパウロからバスで6時間ほどの街ミランドポリスから、さらに車で20分ほどのこちらも日系人が開いた村であるアリアンサ村の中にあります。
ミランドポリスはサンパウロから600kmほど
ミランドポリスからは、月曜〜金曜日の平日のみアリアンサ行きのバスが出ていて、土日はタクシーでしか行くことができません。
バスやタクシーの運転手に「コミュニダーデ・ユバ」と言えば、弓場農場の入り口で停車するか農場内まで連れて行ってくれるそうです。
行き方からして田舎感満載ですね。
「コミュニダーデ・ユバ」弓場農場はこちら
到着すると赤土が広がる広場を囲むように平家の家が並んで立っていました。田舎のおばあちゃんの家に来たような懐かしさです。
弓場農場は、1935年にブラジル日系移民の弓場勇さんが仲間とともにはじめた農場が基となっています。
いまも弓場さんやその仲間達の子孫と、外部からの移住者合わせて60人ほどの村民(農場民)でコミュニティが運営されています。
村人一人ひとりがなんらかの仕事・役割を持ち、農場経営だけでなく生活のすべてを共同で運営し、支えあって暮らしています。
例えば食事担当のお母さんたちは、毎日三食、村人全員分の食事の用意をします。
60人超分の食事の用意はとても大変そうでした。
食事以外にも、各農作物の担当や養鶏場の担当など、各人ごとに仕事が割り振られていました。
もちろんここに滞在させてもらう旅人も例外ではなく、旅人はお客さんではなく農場の労働者の一人としてきちんと仕事を与えらえます。
また、農場内で必要なものはほぼすべて自分たちの手で作られています。いわゆる自給自足。
農作物はもちろん、豚や鳥といったお肉も自分たちで育てています。
また食べ物だけでなく、ほうきや石鹸、箸といった日用品から、洗濯機や釜戸といったものまですべてお手製なのです。
単純に、すごい。
石けんなどの日用品や、
洗濯機まで手作り!
弓場農場は積極的に旅人も受け入れていて、数ヶ月単位で滞在するいわゆる「沈没」旅人の姿もチラホラ。
また、長期滞在から転じて実際に移住してしまう人も。
なにが旅人たちを惹きつけるのか。
旅人に口コミで広がる弓場人気の秘密とはなんなのでしょうか。
弓場農場に到着した次の日から、わたしもお仕事スタートです。朝の6時に起床し、7時か7時半頃から仕事開始。
旅人は本来であれば、主に畑での農作業を手伝うのです。
わたしが滞在した時(2017年6月下旬)は、サンパウロで行われる日本人祭りに出品する商品の準備で女性陣が大忙しだったため、わたしも厨房にはいってそちらを手伝うことに。
お祭りに出品するお菓子や瓶詰めの漬物などを作ったのですが、容器以外すべてが手作り。野菜などはもちろん、醤油やみりん、ミソなどの調味料もすべてお手製なんだとか。
テキパキと働く弓場のお母さんたちに混じって旅人のわたしも一生懸命お手伝い。
弓場に滞在している間は旅人ではなく従業員の一人。勝手がわからず少々戸惑いましたが、足手纏いにならないように必死でした。
でも一からカリントウや佃煮を作る工程なんてなかなか見ることができないので良い経験でした。そしてとっても美味しかったです(たくさんつまみ食いました。)
朝の7時半から始まった仕事は、昼休憩を挟んでだいたい夕方の5時頃まで。
その後夕食まで1、2時間ほどの自由時間となります。休憩時間は各々の家(旅人は宿舎)で過ごしたり、テレビも設置された居間でくつろいだりして過ごします。
そして、待ちに待ったご飯の時間。弓場の魅力の一つはなんといってもこの絶品日本食。
朝・昼・晩の3食を働いた代わりにいただくことができます。
これがなんといっても本当においしい。ブラジル、いや世界でこれほどおいしい日本食が食べられる場所が他にあるでしょうか。
3食すべてが食堂の中央に設置された台から各自が好きな物を好きなだけ食べるビュッフェ形式。
もちろんお代わり自由です。ついつい食べ過ぎちゃうから困り物。
弓場にきて体重が増加する旅人が続出するのも納得です。
また、日本食だけでなく、弓場にはなんと薪で焚いた大浴場が男女別で各一つづつあるのです。
長旅の間、なにが恋しいかってお風呂なんですよお風呂。
日本食はお金を出せばそれっぽい物を含め世界のどこでも食べられる昨今ですが、やっぱり日本式のお風呂はない。
海外の温泉なんて温水プールに毛が生えたくらいですからね。
おいしい日本食と気持ちの良いお風呂が1日の疲れを癒してくれるのでした。
月曜日から土曜日まで働き、日曜日は仕事はお休み。
皆各々好きに過ごします。弓場の人たちは創設者の弓場勇さんの時代から芸術活動が活発で、その種類は多岐に渡ります。
弓場農場の敷地内にはバレエの練習場とダンスや音楽コンサートなどができる劇場があり、サンパウロや他の都市からも弓場の公演を見に人が来るほど。
週に数回バレエの練習があり、夜はどこからどもなくバイオリンやトランペット、サックスの音色が聞こえてきたり、昼休憩時には食堂で俳句の歌会が行われたりと、弓場の人々の多才さは枚挙にいとまが有りません。
写真はバイオリンの弾き比べ会の様子。
また、日系人ならではといいますか、この弓場農場とアリアンサ村一帯では野球が盛んで、近隣の都市部からチームを招いての野球大会なども行われていました。
たくさん働き、たくさん遊ぶ。これぞ弓場流なのでしょうか。
このように、たくさん働き、お腹いっぱい食べて、お風呂で癒され、たくさん遊ぶ。
そんな弓場の生活を満喫していた筆者。
生活が長くなるにつれて一番強く感じたのは「支えあって生きる」ことの懐かしさと心地よさでした。
弓場には移住者家族の子供たちも含めてたくさんの子供たちがいて、大人たちが仕事に行っている間、子供たちは庭や食堂など、農場全部を使って元気いっぱい遊びまわっていました。(筆者が滞在していたときは学校がお休みの期間でした)
手の空いた大人たちが、誰となく子供たちを気遣い共同で見守る。
「◯◯さん家の子供」というより「弓場の子供」として全員で見守り育んでいるようでした。
また、成長して大きくなった子供たちは、自分たちがしてもらったように年少の子供たちの面倒を見ていて、現在の日本ではなかなか見られなくなった「地域と人のつながり」が感じられ、懐かしさがこみ上げてくるのでした。
また、旅人であっても快く農場の一員として受け入れてくれるので、昼間は一緒に働き、同じ釜の飯を食べて、裸になって湯船に浸かって、夜中までサトウキビのお酒ピンガを片手に語り合う生活は本当に心地よく、この心地よさが旅人を弓場に引き止める理由のひとつなんだなと思いました。
たった2週間の滞在でしたが、いろいろなものを感じたブラジルの中の日本、弓場農場での生活。
海外を旅していると日本の素晴らしさを再確認することが多いと思いますが、ここ弓場もまた、もしかしたら日本人が失ってしまったかもしれない日本らしさを再認識させてくれる貴重な場所でした。
ブラジルのサンパウロから少し足を伸ばして、日本の心を探しに行ってみるのも、また面白い旅になるのではないでしょうか。弓場の人たちはどんな旅人も垣根なく迎え入れてくれるでしょう。
以上、ブラジルよりカイでした。
世界新聞の最新情報をゲット
RANKING