ダルヴァザの「地獄の門」で野宿するとこんな朝を向かえる

2014.09.05 07:00 
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中央アジアのトルクメニスタンに「地獄の門」と呼ばれる場所があるのをご存知でしょうか?巨大クレーターの中に炎が燃え盛る絶景を眺めながら、眠りにつきました。

 

PICK UP photo by Brian Shrader

 

こんにちは!旅する理科教師ぞーしきです。

今回僕は、中央アジアのトルクメニスタンにあるダルヴァザの「地獄の門」にツアーではなく、個人的に行ってきました。その際、門から5mのところでテントなしで野宿をしてきたので、その様子をレポートします。

 

トルクメニスタンってどんな国?

20世紀の末から21世紀にかけて、ソ連からの独立を果たしたニヤゾフ大統領による独裁が長く続いたが、その後は開放路線を歩んでいる。

天然ガスは狭い国土にもかかわらず世界第4位の埋蔵量の資源国である。これらの資源の輸出により潤沢な資金流入があるため、独裁国家には珍しく国民は非常に裕福といわれることがある。しかし、一人当たりのGDPが5000ドルなので裕福とはいえない。

教育・医療費・電気やガス・水道などが無料とされている。
Wikipediaより引用

 

地獄の門とは?

トルクメニスタン国内のダルヴァザ付近の地下には豊富な天然ガスがある。1971年に地質学者がボーリング調査をした際、偶然、天然ガスに満ちた洞窟を発見したが、調査の過程で落盤事故が起き、大きな穴が開いてしまった。有毒ガスの放出を食い止めるため、点火することになったが、可燃性ガスが地下から絶え間なく吹き出るため、延々と燃え続ける事態となった。

のちにこの穴を住民は「地獄の門(英:The Door to Hell)」と名づけた。現時点ではこの天然ガスの燃焼を食い止めることは技術的にとても困難と判断され、また、天然ガス の埋蔵量自体が不明なため、今後いつまで燃え続けるのかもよく判っていない。現在でも消火するための解決手段は無く、依然として燃え続けている。
Wikipediaより引用

 

つまり、現在まですでに40年以上も絶えず燃え続けていることになります。とんでもない量の天然ガスですね。ちなみに、旅人の間ではガスクレーターと呼ぶのが一般的です。地獄の門の場所はここになります。

 

真っ白の世界、首都アシガバード

ガスクレーターに行く前にトルクメニスタンの首都アシガバードで一泊しました。まず、車内から感じた街の印象は「白い」事です。街の建物のほとんどが大理石で作られているらしく、道路の両サイドから奥までが白い建物で満たされていました。
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そして、一つ一つの建物が大きく、出歩いている人も少ないので、散歩していても面白くありませんでした。前に訪れたカタールに似た印象を受けました。写真は病院です。5つ星ホテルのようです。
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マーケットに行くと、それなりに人がいましたが、挨拶してもほとんどの人に無視をされ、心まで色のない街だと思いました。
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また、政府関係の建物の前では写真は愚か、立ち止まるだけで警官に注意され、いい思い出が一つもない街になりました。

 

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シェアタクシーで荒野を行く

地獄の門へは公共交通機関が無いのでシェアタクシーに乗るのが一般的です。アシガバードの「チョールー」と呼ばれていたバザール付近にあるシェアタクシー乗り場に行きます。

 

着くと、ドライバーに「どこいくんだ?」と取り囲まれ、値段交渉が始まります。僕は片道30マナト(約1000円)で手を打ちました。
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タクシーと言っても、普通の乗用車です。ここに定員いっぱい乗り込みます。
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紹介します!イランから一緒に旅しているドイツ人のフロリアです。トルクメニスタンはツーリスト用の料金が設置されてないので、ホテルや交通機関の料金をシェアするために、二人以上で来ることをお勧めします。DSC_0400

 

フロリアは窮屈な車内で「君は足が長くなくて、うらやましいよ」と僕の事を褒めてくれるいい奴でした。
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この車でアシガバードから片道3時間かけて、地獄の門近くの「チャイハネ」と呼ばれるティーショップまで行きます。窓からは、ラクダも見え砂漠地帯に来たなと実感しました。
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ここが「チャイハネ」です。道沿いに4、5件が疎らに点在しています。ここで、日が暮れるまで待機してから「地獄の門」へ向かいます。3軒目が恐らく直線距離で一番、地獄の門に近いのではないかと思います。
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中はこのように絨毯に座るワンルームでアットホームな造りでしたが、冷たく、英語も話せないトルクメニスタン人との絡み方が未だにわからない僕らはあたふたしていました。
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言語を超えてコミュニケーションを図る方法

しかし、今まで海外ヒッチハイクで言語を超えたコミュニケーションを図ってきた僕には、取って置きの秘策がありました。それは「わかったふりをする」という事です。話しかけられたら笑顔で頷き、イエスと言いながら、相手の言葉をオウム返ししていればそれでいいのです。大事なのは「コミュニケーションを取りたいという気持ちを表すこと」なのです。そうすると、意外にも話ができ、こんな写真が撮れるようにまでなります。
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トルクメニスタン人はこの人のように前歯4・5本が金歯という人が多く、笑顔は本当に輝きます。以前の独裁者であるサパルムラト・ニヤゾフが定めた金歯禁止という馬鹿げた法律へのアンチテーゼでしょうか?
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女性は6割方、若い人も含めこのコイネックと呼ばれる伝統的な衣装を身に纏っています。女子生徒の制服もこれでした。この左の子は日本人にも見える程、アジア系の顔をしていました。「中央アジア」と呼ばれる所以が垣間見れました。
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一方、相方フロリアはこの環境に順応出来ず、居心地が悪くなったのか先に地獄の門に向かってしまいました。フロリアは英語でのコミュニケーションに固執していて、ホテルの受付スタッフが英語を話せないだけでイライラしてしまう程でした。

 

暗闇の中1時間以上、砂漠を歩いて…


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さあ、日が落ちて月が見え始めた午後8時、地獄の門に向かいます。なぜ、こんな遅くに出発するのかというと、地獄の門までは砂漠を1・2時間かけて徒歩で向かう為、目印となる地獄の門の炎が輝き始める夜の方が迷わないのです。
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本来なら、フロリアと安心して向かうことができたのですが、仕方ありません。夜の砂漠に一人で繰り出しましょう。必要なものは、コンパス(またはGPS、google mapで「the door to hell」でも検索できます。)、ライト、防寒着です。
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チャイハネを出たら、とにかく東へ進みます。初めは乾燥したばかりのせいか、踏む砂が霜のようにジャキジャキ音を立て、とても快適に進むことができます。
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しかし、数分でお馴染みの砂の砂漠に代わり、勾配があると靴が砂に埋まり、靴の中に砂が侵入してきます。
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20分程歩くと、列車用の線路に当たります。
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それを超え丘を登ると、なんと……すでに炎の放つ赤い光が東南東にぼんやりと見えてくるではありませんか!
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胸を撫で下ろしたのもつかの間、その光が一向に大きくなってきません。足元には針を放射状に放つような草が等間隔に密集し、足首をチクチク攻撃してきます。
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さらに、草から「ガサッ」と何かが飛び出るような音がして、立ち止まるとそこは無音の世界。ネパールで購入した僕のヘッドライトの光は実に弱く、一気に恐怖が押し寄せます。
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しかし、進むしかありません。フロリアに怒りを感じ始めた僕の背中を押してくれたのは夜空に輝く満天の星空でした。蠍(さそり)座に矢を向ける射手座が、僕を魑魅魍魎から守ってくれるようにさえ感じました。
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地獄の門へ到着

赤い光を感じた場所からさらに40分程歩き、小高い丘を越えたところで、ようやく門の丸い形が遠くに確認できました。地獄の門が天国の門に変わった瞬間でした。
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その円も次第に大きく、はっきりと確認できるようになり、
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ついに、地獄の門へ到着しました。出発してから1時間15分ほどでした。
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地獄の業火は弱火なのか

地獄の門の淵に立つと、ようやくその業火が視野に入ります。炎は大きなものが一つある訳でなく、万遍なく少しずつガスが流出しているようで、小さい炎が沢山ありました。写真で確認した時は炎が弱い印象でしたが、実際は熱風が顔に当たり炎を直視できない程の火力を感じました。
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やはり、中心の炎が一番大きく輝いていました。
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2m程離れると、うっすらと煙が見え、それぞれの炎から発生した熱風が統合し、大きな上昇気流を生み出していると判断できました。その上昇気流に向かって吹き付ける風が背中に当たり、トレッキングで汗ばんでいた僕は少し肌寒くなりました。
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地元の人とBBQ

僕が到着した時にすでに3・4組が滞在していました。中には日本のツアー団体客もいました。27万円するそうです。

僕はフロリアと再び合流した後、彼が仲良くなっていたトルクメニスタン人5人グループに少しの間混ぜてもらいました。彼らは、川に来たような感覚で車から大音量で音楽を流し、火を起こし、肉や魚を焼いて酒を飲みながらBBQを楽しんでいました。こんな絶景にそんな感覚で来られる彼らが羨ましかったです。
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彼らはロシア系のトルクメニスタン人だと言っていました。彼女のこの格好は、厳格なイスラム圏が長かった僕には刺激的でした。彼女の英語が流暢だったのでフロリアも楽しんでいました。
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業火の隣で野宿

さて、いい感じにアルコールが入ったところで彼らと別れ、1人でしみじみと星と炎を観賞した後、床に就きます。テントがある彼らやフロリアとは違うので僕は1人、業火の隣で寝ることにしました。
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門からは5m程でしょうか。わざわざ、この為にイランで買ったシートを広げ、
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ベッドシーツを引き、
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寝床の完成です。
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仰向けになると、炎の光と煙によって星は見え辛くなっていました。しかし、その代わりに、業火が生み出す川の激流のような轟音が不思議に心地よく、あっという間に眠りに落ちました。
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地獄が消える訳

翌朝、寒さで目覚めると、頭上に真夏のオリオン座が輝く日の出前でした。地平線にはうっすらと日の光が差し込み、地獄の門は絶えずその大火を誇示していました。
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しかし、その虚栄もつかの間です。完全に日が昇ると、その業火の光が嘘のように、日の光によって釜の内側へ消えていきました。
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突然ですが、去年の9月1日から始めたフィリピン留学を皮切りに、僕の旅は始まりました。つまり今日で僕の海外生活はちょうど一年です(2度日本に帰っていますが)。

留学前までは、僕は英語に地獄のような恐怖を感じていましたが、今やフロリアが我慢して会話できるようなレベルにはなりました。

そんな僕が、今回地獄の門を見て感じたことは、地獄は意外と地獄でないという事です。夜間では数km先からも感じる地獄の業火を、いとも簡単に日の光が消し去るように、(旅などの)やりたい事への輝きは地獄と感じるものを簡単に消し去るのかもしれませんね。

 

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ぞーしき
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