私が出国した数日後、事件が起きた
みなさん、こんにちは!長期旅行中の水島早苗です。
私は2月下旬、2015年3月18日にバルドー国立博物館での銃乱射事件の起きる直前にチュニジアを旅行し、連載・みんなのあさごはん!ではチュニジアでの朝食を紹介しました。
「チュニジアって、危ないんじゃないの?」と思う方も多いのではないでしょうか。
アラブの春の発端となったチュニジアで起きたジャスミン革命(下写真)、そして先月に起きた銃乱射事件が影響して情勢不安定なチュニジアから観光客は遠ざかっています。
"Caravane de la libération 4" by M.Rais – 投稿者自身による作品. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.
チュニジアに実際に行って見たものは人々の変わらない日常と笑顔であり、それとは打って変わって厳しい現実も目の当たりにしました。
私が見た「厳しい現実」というのは、旅行者である我々が一番触れ合う機会の多い、観光業に携わる人々の仕事が激減し困っている様子でした。
メディアでは危険の一言で片付けられていますが、そうではなくて、実際には平和な日常と厳しい現実の両面を持っています。事件の起きる前の状況ではありますが、私が見てきたこと・聞いてきたことを紹介したいと思います。
チュニジアで見た「日常」
チュニジアは北アフリカのアラブ諸国のひとつであり、アルジェリア、リビアに挟まれ、地中海を隔てイタリアにも近い国です。
アラブ諸国といえば、イスラム文化のイメージですが、チュニジア、とりわけ首都のチュニスは雰囲気が少し違います。アラビア文字が目に入らなければ南ヨーロッパと間違えてしまいそうなほどです。フランスに統治されていた歴史があること、チュニジア独立後、大統領が西欧化を目指した影響があるようです。
大通りには西洋風な時計台があり
その大通り沿いには大聖堂が構えています。この向かいにはフランス大使館があり、年始に起きたシャルリー・エブドの事件の影響もあって、戦車が配備されているなど厳重体制でした。写真には有刺鉄線が置かれている風景も写っています。
チュニスの市場を見ているときには肉屋を営む家族から試食をしていきなさいと声をかけられました。彼らの笑顔は戦車や有刺鉄線を見た後にナーバスになっていた私の気持ちを元気にしてくれます。
首都チュニスの周辺には西洋風の建物やファッションが見られますが、砂漠地帯の多い南部は伝統的な風習を守りながら生活する人が多いようでした。
ベルベル人の伝統的な住宅にて、石臼で麦を挽く体験をしました。これはかなり重労働です。私が少しのことでへばっていると「こちらの女性はヒゲがないだけで、男性と同じくらい強いんだよ」という冗談があることを教えてもらいました。
女性のお宅は伝統的な住宅で、慎ましやかに暮らしていました。
夜、ある町でおみやげ屋の前を通った時の写真です。店は閉まっているのに商品が出されたままですが、盗まれる心配はないということなんでしょう。こんな平和もあるのです!
石油がないチュニジア
隣国のアルジェリアやリビアは石油や天然ガスがあり、大きな利益をもたらしていますが、チュニジアにはそれがありません。
しかし、外国人が観光しやすく世界遺産に登録されている観光地が8ヶ所あり、観光業が重要な収入源のひとつとなっています。革命の起きる前、2009年には37万人分の雇用を占めていました。(wikipedia参照)
こちらが世界遺産のひとつであるカルタゴ遺跡・アントニヌスの大浴場です。海を見ながらこんな大きなお風呂に入るなんて、なかなか洒落ていますよね!ここはまさにテルマエ・ロマエの世界です!
革命で「良いことも悪いこともあった」
あるチュニジアの人に革命による国の変化について尋ねてみたところ、返ってきた答えは「良いことも悪いこともあった」ということでした。
革命で追放された大統領が政権を握っているときは秘密警察がカフェやホテルにいたんだそうです。カフェで政治の批判をすれば逮捕され、デモも禁止されており、人々は監視されている状況だったそうです。
チュニジアにはベルベル人が少数ながら住んでいますが、彼らの言葉であるベルベル語は公の場で話すことも禁止されていました。
イスラム教の女性が頭や身体を隠すために着用するヒジャブやチャドルも推奨されていませんでした。そのため、革命後は着用する人が増えたとのことです。
チュニジアは抑圧から自由を手に入れたように見えるのですが、あるチュニジア人が言うように、悪いことも起きています。こちらが観光業に携わる人々が大きく関係しており、現在深刻な状況です。
民主化になったといっても急な展開で、派閥ができたり、宗教の問題も絡み、混乱状態となった結果、国としてのまとまりがなくなってしまいました。それによって警察の力が弱体化し、治安は不安定になったんだそうです。
さらにチュニジアで起きた革命により周辺国に反政府運動が飛び火し、過激派のグループが拡大している状況です。そのようなグループがチュニジア国内に侵入し、国境を守る軍人や警察官を狙い多く亡くなっていることを聞きました。
それだけではなく、銃乱射事件の犯人は内戦状態のリビアで訓練をしていたと言われており、外部からの侵入だけではなく、内部にも危険を孕んでいるとも言えます。(NHK news web参照)
このような状況があり、革命以降は外国人観光客は激減、予定していたツアーもキャンセルが続き、廃業するホテルさえあるようです。私を「砂のパン」のために砂漠ツアーに連れて行ってくれたアブドゥーラさんもラクダを4頭飼っていますが、ラクダにとっても久しぶりの仕事だったと話していました。
生き残るためには観光業が必要
当時、私が滞在した時は「狙われるのはいつも政府関係や警察官だから、市民や観光客は大丈夫」と言われていましたが、先月の事件では大丈夫だったはずの観光客が多数亡くなりました。
今も人々は私が見てきたときと変わらず生活していると思いますが、観光業に携わる人の深刻度はさらに増しているに違いありません。
「あと5年頑張れば、きっと外国人はたくさん戻ってきてくれるはず」と希望を持って困難を乗り越えようと話してくれた人々のことが気がかりです。
アルジャジーラでも事件から観光業がさらに悪化するのではないかと心配している記事がありました。
「私たちには石油もガスもない。生き残るためには観光業が必要だ」と。
その一方、もし私がチュニジアに今のタイミングで行くかと聞かれれば、チュニジアには行かないルートを選ぶかもしれません。やはり危険なイメージは拭いきれず、自分だけでなく、家族や友人も大変心配すると思うからです。
上記した話を教えてくれたチュニジア人は私に言います。
「独裁政権=悪政というのが一般的な見方だけど、実はいろんな側面があってそれによって秩序が保たれていた部分も大きいので革命が正しかったのかと言うと未だに答えは出ていない」と冷静に物事を見つめています。
観光客がチュニジアに戻ってくるまで長い年月がかかることと思います。チュニジアの平和、観光業が再び元気になること、そして事件で亡くなられた方々のご冥福を祈り、今回の記事を終わりたいと思います。
文・写真:水島早苗
ブログ:Da bin ich! -わたしはここにいます-
facebookページ:みんなのあさごはん!
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