アルメニア人がトルコ人作曲家の曲を演奏するということが意味するもの。
みなさん、こんにちは!長期旅行中の水島早苗です。(いつもは連載・みんなのあさごはん!やってます)
私はこの冬にアルメニアという国を旅行してきました。
アルメニアはトルコ、グルジア、アゼルバイジャン、イランに囲まれた国です。
芸術にあふれた首都・イェレヴァン
アルメニアは残念ながら首都しか滞在することができませんでしたが、まずは首都であるイェレヴァンについて紹介したいと思います。私がそこで一番驚いたことは文化芸術を身近に、そして安価に味わえることでした。
下の写真はコロンビアの彫刻家・ボテロの作品ですが、普通ならば美術館などに展示されているものですが、公園にどどん!と置かれており、無料で鑑賞することができました。
ギャラリーも多く点在し、入場料がたったの200円の国立博物館はソ連時代にはソ連国内で三番目に作品数の多い博物館でした。(もう少し詳しいことは私のブログにも書いています!)
アルメニアの悲劇の歴史
「ジェノサイド」という言葉があり、その言葉は一般的には「大量虐殺」の意味で使われますが、国外への強制退去による国内の民族浄化、あるいは異民族・異文化・異宗教に対する強制的な同化政策による文化抹消など、「特定の集団等の抹消行為」と定義されています(wikipedia参照)。
この内容からナチス・ドイツのユダヤ人に対する虐殺をイメージする方も多いのではないでしょうか。
アルメニア人もまた虐殺された歴史があり、この事件から今年がちょうど100年。4月24日はジェノサイド追悼記念日となっています。
アルメニア人虐殺とは?
19世紀末から20世紀初頭に、オスマン帝国の少数民族であったアルメニア人の多くが、強制移住、虐殺などにより死亡した事件。ヨーロッパ諸国では、特に第一次世界大戦に起きたものをオスマン帝国政府による計画的な組織的な虐殺と見る意見が大勢である。21世紀に至る現代でも、オスマン帝国の主な後継国家であるトルコ共和国を非難している。トルコ政府はその計画性や組織性を認めていない。
特にアルメニア人社会では「虐殺がナチス・ドイツによるユダヤ人に対するホロコーストのように組織的に行われていた」と考えられており、またオスマン帝国からトルコ共和国に至る「トルコ国家」が一貫した責任を有するとする。特に4月24日は、ジェノサイド追悼記念日とされており、毎年トルコを非難する国際的なキャンペーンが行われている。
wikipediaより引用
イェレヴァンの中心部から少し離れたところにジェノサイド・ミュージアムというのがあります。
そばにある記念碑には献花が絶えずあるようで、
良くないアルメニアとトルコの関係
2009年10月10日に欧米の後押しもあり、両国間で国交正常化が実現したものの、虐殺問題に対して双方の主張が埋まることはなく現在に至るそうです(wikipedia参照)。
国境も閉鎖されており、トルコ・アルメニア間は第3国であるグルジアを経由しないと移動できない、という話を旅行者からよく耳にしました。
また、国外にもアルメニア人が多く暮らしており、その数は7割とまで言われています。特に、フランスには50万人ものアルメニア人が在住、「アルメニア人虐殺」を公の場で否定することを禁じる法案作成がされたこともあります。(裁判では「表現の自由に反する」と違憲判決が下されており、議会でも否決されています。)
その背景もあってか、私の出会ったトルコ人の何人かは、そのような法案を作ったフランス自体を嫌っていました。中にはフランス製品の購入をボイコットしている人もいるほどです。
このように、アルメニアとトルコは国交正常化は実現したものの、良くない状況が100年も続いています。
悲劇がテーマの絵画コンテスト
今年、アルメニアでは100年の区切りであるため、さまざまなイベントが企画されています。
私が滞在した時には、世界中に住むアルメニア人の小中学生から募った絵画コンテスト受賞者の展覧会を見学することができました。
オスマントルコの国旗、オスマントルコ人のような姿が虐げているらしい様子が描かれている作品もあります。
この悲劇の歴史は親から子へ、代々に受け継がれていることがよくわかりました。
しかし、あるクラッシックのコンサートで私はひとつの出来事に遭遇することになったのです。そこで私が見たのは「希望」でした。
アルメニア人ピアニストのコンサート
アルメニアの首都・イェレヴァンではクラシックコンサートも格安で鑑賞できます。このコンサートは250円でした。
こちらがコンサートが行われたハチャトゥリアンホールです。旧ソ連のアルメニア人作曲家・ハチャトゥリアンの名前が付けられ、ホールの正面には彼の銅像が置かれています。
ホール内はソ連時代に建てられたもので、華やかではありますが、ソ連独特のどこか無機質な雰囲気が漂っています。
この日のプログラムはアルメニアのオーケストラとピアノとの共演です。
ピアニストはウィーンで研鑽を積むNareh Arghzmanyan(下写真)という、アルメニアで生まれ育ったアルメニア人女性ピアニストでした。彼女は時折帰国しては母国で演奏をしているのでしょう、ファンは多いようでした。
"Arghamanyan Nareh" by Baurke32 – Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.
アルメニア人ピアニストが挑んだ「タブー」
同胞の成長を見守ろうと、アルメニア人は真剣に彼女の演奏に耳を傾けていました。彼女の演奏が終わると、スタンディングオベーションで観客は彼女の演奏を讃えます。
鳴り止まぬ拍手に彼女はアンコールを演奏しました。そこで弾いたのはファジル・サイというトルコ人の作曲家の作品でした。
アルメニア人がトルコ人の作曲家の楽曲を演奏している・・・
今までアルメニアとトルコのぎくしゃくした関係をトルコとアルメニアを旅行中に肌で感じていただけに、私は耳を疑いました。
「タブー」を弾き終えた後の反応は…
両国の関係が悪いことが原因で演奏してはいけないということはもちろんないと思うし、そうあってほしいと望むところではあるのですが、例えば現在でもイスラエルではワーグナーという作曲家の楽曲を演奏することはタブーとなっています。ナチス・ドイツによって虐げられたユダヤ人に対する配慮があるためです。ワーグナーの楽曲はヒトラーに愛され、ナチス・ドイツのための音楽として用いられた結果、現在でもこのようなタブーが生じているのです。
アルメニアにイスラエルのような厳格なタブーが存在するかどうかははっきり知りません。しかし、両国には政治的に厚い壁が立ちはだかり、反トルコ感情が伝わる出来事を見てきた私としては、「トルコの音楽をアルメニアの聴衆に紹介する」という行為は快く思わない人もいるだろうし、それどころか怒り出す人やブーイングする人がいてもおかしくないのでは?と思っていました。
ところが、弾き終えた後の観客の反応はというと、拍手は前ほどではないにしても、拍手はあり、観客にブーイングする人もおらず、拍手をしない人もほとんどいませんでした。
アンコールでこのような「タブー」に挑み、トルコの音楽を紹介した彼女を勇気ある女性だと本当に感心しました。
音楽に政治的な壁を作ってはならないというメッセージとともに、100年を機にトルコと明るい関係を築いていけるのではないかという可能性をも感じることができました。
両国の関係改善のきっかけになれば…
去年のジェノサイド追悼記念日の前日である2014年4月23日、トルコのエルドアン首相はトルコ指導者としては初めて、「アルメニア人虐殺」に対して追悼の意を表明しました。
果たして、今年はどんな一年になるのでしょうか。虐殺事件から100年を迎え、悲しみを忘れるだけでなく、両国の関係改善のための一年になることを願いたい・・・そんなことを感じるきっかけになった公演でした。
文・写真:水島早苗
ブログ:Da bin ich! -わたしはここにいます-
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