[ラサ→成都・バス]日中関係はやっぱり難しいと思った話

2016.02.16 11:00 
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バスでいろいろありすぎて日中関係が複雑になりました。

 

4泊5日のバス移動

こんにちは。webクリエイターをしている masuyama です。

2005年5月、僕はチベットのラサからバスで4泊5日かけて中国の成都に向かっていました。このバス移動はこれまでの旅の移動でワースト3ぐらいに、体力的にも精神的にもきつかったです。今ならラサから中国各地に鉄道が通っているけれど、当時は移動手段が飛行機かバスで、飛行機が2万円ぐらいでバスが5千円ほどでした。迷わずバスを選んだ自分を殺してやりたいです。

 

1日目 捨てる


現在のルート検索の結果

 

まず、バスに乗り込んだ時点でとても臭います。なにか訳があって干物でも食べているのかと思いましたが、ただただ臭い。その臭いの中で換気もせずにタバコを吸ったり、ひまわりの種なんかを食べてはそこら辺にぽいぽい捨てる中国人の方々。臭いがさらに増します。臭いは無言の暴力だと身を持って感じました。

 

バスの中は2段ベッドが3列になっていて、全部が埋まった後にそのベッドとベッドの通路にも人をいれてきます。乗車率250%になり、自然と酸素の奪い合いになります。僕がベットで横になると柄本明似のおじさんの顔が10センチ近くにあります。恋人同士がキスするかしないかの甘酸っぱい距離を延々とおじさんと分かち合うことになりました。

このおじさんは食べたものを窓際の僕に「これ、捨てて」って感じで、ガンガン渡してくるので、僕が窓からガンガン外に捨てます。なんか僕が悪いことをしている気になったけど、だんだん慣れてくると自分のものもガンガン捨てる様になってきます。上のベッドのおばちゃんもいろんなものを捨てるから、窓の風景を見てると上からみかんの皮とか空き缶が降ってきます。多分、ゴミ箱という概念がありません。

 

ちなみにバスの中は50人ぐらいいて旅行者は僕一人。あとはみんな中国人。英語が一切通じないのでバスが止まる度に「ご飯か?トイレか?」って、運転手にジェスチャーしてましたが、ほとんどが故障でした。そんな感じで一日目が過ぎていきます。

 

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標高が高い場所にはチベットの祈祷旗・タルチョ

 

2日目 吐息

2日目の昼。乗ってるバスが公安 (中国の警察) に止められます。なんでも乗員オーバーなのが問題らしいです。そりゃそうです。バスの添乗員が公安に必死に頼み込んで通過させてもらってました。お金でも包んだのかもしれません。

 

夜中にバスが何回か故障して、近くの村で道具などを借りて一生懸命にバスを直すおじさんたち。どうもエンジンがいかれてしまったみたいです。その近くのベットでいちゃついてる若いカップル。毛布をかけだして静まったと思ったら、吐息だけが聞こえてきます。なんかそっちのエンジンの方が動き出してしまったようです。おじさん達は素知らぬ顔で修理しているけど、確実に気になっています。中国で「一人っ子政策」はなかなか難しいのだと思いました。

 

3日目 突破

3日目の朝。どこかの駐車場にバスが止まり、外でバスの運転手と添乗員が乗客と話し込んでいました。隣の人に筆談で聞いてみると「公安のチェックが厳しくなる。乗客が多すぎて成都まで行けない」それを聞いた時、正直、早くこの人民バスを降りたかったので嬉しかったのを覚えています。まあ、降りた所で違う人民バスに乗らなければいけないのですが…。

「あー、でもない。こー、でもない」と、中国人が出し合った結論は違う車を借りて、そこに何人かをつっこんで突破しようということになり、20人近くを別の車に乗せていったので、バスの中はかなり快適になりました。

 

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ただただ、こんな道がずーっと続きます

 

窓の外を見ると一本道がずーっと続いて、途中ウトウトして2時間ぐらい居眠りして起きてみるけど、同じ風景が延々と続きます。たまにその道を五体投地しているお坊さんがいたりするので「暇つぶしと情熱のあいだ」と心の中でつっこみ、3日目が過ぎていきました。

 

4日目 ためしてガッテン

昼過ぎ。山道に軽トラックぐらいの岩石が道をふさいでバスが通れなくなりました。それを見て乗客の中国人たちがバスから降りて岩石を囲みだします。だいたい20人ぐらい。まさかって、思っていたらみんなで持ち上げようとしました。「もしかしたら、いけそうかな」という人数だったけど、結果、全然ビクともしませんでした。そのあとクレーン車がサクサクって運んでいきました。彼らの「ためしてガッテン」という気持ちには心からエールを送りました。

 

5日目 日中関係は難しい

無事に成都へ到着。バスの中で日本人は僕一人だったから、物珍しかったのかも知れないけど、中国人の若者が話かけてくれました。彼の言ってる事の30パーセントも理解できなかったけど、いろいろとご飯をおごってくれたり、成都に着いてからは、彼の友達も呼んで一緒にパンダを見に行ったりしました。お金を払う払うと言っても「もし僕らが日本に行った時に日本を案内してくれればいいよ」と言って受け取りません。

 

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左の彼がバスで話かけてくれて、右の彼はそのお友達。高校生ぐらいだと思っていたら二十歳を超えていた。中国人、顔が童顔。

 

2005年の当時、北京の日本大使館に卵を投げられたりと、中国の反日運動を日本のメディアはよく取り上げてました。ただ、僕が中国に滞在している時は攻撃されるようなことはなかったし、実際には今回のように親切にされることがよくありました。メディアは一方的な情報を流すということが分かったし、実際に自分の目で確かめないと分からないことがたくさんありました。

 

彼と別れた数ヶ月後。実家へ彼からお菓子が届きました。僕はまだ日本に戻ってなかったので母が食べたのだけど、とてもまずかったらしく、すぐに捨ててました。「腐ってるのかと思ったわよ」とメールが来てました。

 

日中関係はなかなか難しいと思いました。

 


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増山 友寛
1981年生まれ。東京在住。撮影スタジオで勤務後、世界89カ国を周遊。各国の世界遺産や風景を映像と写真で撮影。web製作会社を経て、現在はフリーランスのwebクリエイターとして活動中。旅人には旅人割でホームページを作りますよ。 【mochilero】 http://mochi-lero.com/

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