「給料いくら?」etc…。元青年海外協力隊の僕がよく聞かれる10の質問

2015.08.01 11:00 
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「青年海外協力隊」って……じっさい、何をやってる人たちなの?シリアで元隊員だった筆者が、給料から帰国後の人生まで、ぶっちゃけてくれました。

 

旅するライターのへむりです。

僕は、2008年から2010年まで青年海外協力隊として、中東のシリアで村落開発普及員(現在の呼び名はコミュニティ開発)の活動をしていました。

 

青年海外協力隊
青年海外協力隊とは、日本国政府が行う政府開発援助 (ODA) の一環として、外務省所管の独立行政法人国際協力機構 (JICA) が実施する海外ボランティア派遣制度である。Wikipediaより引用

 

仕事を辞めて、協力隊に参加したこともあり、その点から質問に答えていきます。
正確なデータなどは、JICA公式ホームページにありますので、ここでは一人の協力隊の意見として参考にしてみてください。

 

Q1. どうやったらなれるの?

A.1 一次審査が書類、二次審査が面接です。

一次審査では志望動機・健康診断・TOEICなどの英語資格を見られますが…まずは健康!!経歴が立派でも、健康を理由に落ちている人が多いように思います。日本とは違う環境に慣れるのが、最初の仕事!というわけで、最重要なのが健康なのです。

二次面接では「想い」と「人間性」が見られると思います。僕なんかは、思いっきり元気よく部屋に入ったり、「得意なことは?」と聞かれて「笑顔です!」って言ってました。
面接では「相手を変える」ことよりも、「自分を変える姿を見せる」ことが結局、相手に影響を与えることになるんじゃないかな、と思っていました。

合格率は応募する「職種」によって変わります。もっとも人気なのが、「青少年活動」と「コミュニティ活動」で、「 専門性がないけど行きたいんです!」という僕みたいな人が応募するため、倍率は多い時で10倍くらいでした。

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シリアにてJICAが作った健康に関するチラシを配る

 

Q2. 行く前は不安じゃなかった?

A2. 「このまま変わらないこと」の方が不安でした。

しかも、僕は協力隊に合格する前に、会社に退職願いを出していました。
僕は仕事をする上で、「自分がやりたいことで、お金を稼ぎたい」「なりたい自分に成長したい」ということを大事にしたいと思っていました。そんな中、辞めると決断したタイミングで、元隊員の人に誘われて、協力隊に申し込んだのが縁です。
協力隊経験者が周りにいたので、帰国後の生活がイメージしやすかったというのはあります。

ちなみに、面接で「落ちたらどうするの?」と聞かれましたが、本気で「分かりません」と答えました。

 

Q3. 任期(2年)が終わったらどうするの?

A3. 本当に人それぞれです。

国際協力業界への就職が多いというわけでなく、一般企業に就職する人が多数派かと思います。
専門性を高めるために大学院に進む人も多く、そのための奨学金制度もあります。起業する人や、現地に戻って活動する人、現地の人と結婚する人もいます。官民問わず「現職参加」という同じ職場に復帰できる制度もあります。

余談ですが、協力隊は本気で国が作れそうだと思うような人財の宝庫です。教育、医療、インフラ、農業、漁業、観光、アート、アスリート、マーケティング、町作り、地域活性、などなど、そしてそれらをつなげるのに長けた人たちが集まる場なんて、なかなかありません。

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シリアにて。桜に見えるけど、実はアーモンド

 

Q4. 給料はいくら?

A4. ボランティアなので、無給。ただし、貯金ができます。

ボランティアとはいえ、派遣国の物価水準に合わせた現地生活費が支給されます。家賃も全額補助されます。僕は田舎にいたのでお金が余りましたが、首都に派遣された隊員は外食などが多いためにギリギリというケースも。
また、帰国後に困らないために、国内積立金という形で、日本の口座に毎月振り込まれます。今はODAが減額されたので、積立金も半減しましたが、僕の時代は月9万円ちょっとが支給されました。今はその半分だそうです。

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シリアの雑貨屋さんで買い物中

 

Q5 言葉は話せたの?

A5 派遣されないのでは?と思うくらいダメでした。

試験に合格すると、派遣前に訓練所で65日間の語学訓練があります。訓練所の前にも勉強用の資料は届くのですが、なかなか頭に入ってこず、結局、訓練所で必死になる人が多数かと思います。僕もその一人。
訓練所であまりに成績が悪いと、本当に派遣されませんので、皆、めっちゃ必死です。僕は本気で派遣されないんじゃないかと思うほど、語学はダメでした。
ですが、現地で必死にやり続けて、帰国から5年経った今も、まだアラビア語は使えています。現地に行ったあとは、能力よりも、本気度の差が語学力の差になっているように思います。

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語学は派遣中毎日、移動の時や寝る前に復習していました

 

Q6 行くとなったときの周りの反応は?

A6. あんまり気にしてませんでした。むしろ「良いなー」と言われました。

協力隊の前は、会社員をしていましたが、仕事終わりや土日はNGOのミーティングやイベント、国際協力の勉強会に参加していました。
なので、協力隊に行くことが「突拍子も無いこと」ではなく、「いつかは行くと思っていた」という目で見てもらえたのだと思います。
「反対されてやらないのなら、最初からやりたくなかった」と僕は思っています。昔、ゲームをやり過ぎて怒られた時、「止めなさい」って言われてもやってましたもん。

 

Q7. 向こうで何してたんですか?

A7. 何もしてませんでした。

任地のシリアに行って初日、「何をしたらいいですか?」と尋ねたら、「自由にしてくれ」と一言。なかなか衝撃です。
というわけで、最初の一年はひたすら人の話を聞くことだけに専念しました。ご飯をご馳走になり、家に泊めてもらい、結婚式やお葬式に参加し、遊びに行くぞと言われたら行くようにして・・・と。そしたら、1年経ったときに、「お前は何しにきたんだ?」と現地スタッフから聞かれました。(笑)

ただ、その甲斐あって、現地の人たちがお医者さんの言うことより、モスクで説教する人たちの言葉を優先することがわかったり、字が読み書きできない女性たちに対して無料で識字教室が開かれていることがわかったり・・・。
モスクや識字教室の責任者たちと仲良くなっていたので、彼らにお願いしながら健康情報を広げる手伝いをしていました。

心がけていたのは、僕自身が何もしないようにすること。協力隊の任期は2年。2年でその地から居なくなります。だから、居なくなった後に残る活動にしたいと思って、「何もしない。とにかく聞く。現地の人たちは既に力がある。それを引き出したり、支え合う環境を作ることが仕事だ」というスタンスでいました。
実際に出来たかどうかは分かりませんが、「地域に入り込んで活動した」と現地の新聞に載ったのは嬉しかったです。

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シリアでは誕生日を祝う習慣がないのに、僕の誕生日をお祝いしてくれました

 

Q8. 大変だったことはなんですか?

A9. 思ったことが出来ないのが当たり前!ということ。

現地人の同僚にやりたいことを持ち込んでも、「会う」ということに1週間かかかることがよくありました。
僕は郡の保健局の人たちと仕事をしていたのですが、同僚のドクターが副業(保健局以外に個人のクリニックを運営)していて事務所にいなかったり、他のお客さんがいて後回しにされたりなんて、日常茶飯事です。

ただ、それも相手からすれば当然で、彼らには元々の仕事がありますし、家族の時間も大切です。そして、日本人のボランティアのような、言葉も文化もろくに分からない外国人に仕事を増やされたくないという想いもありますから…。

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シリアの村の男の子

 

Q9 楽しかったですか?

A9. 楽しかったことしか覚えていません!

活動している時は、環境に慣れないこと、語学が通用しないこと、仕事がはかどらないこと、イラっとすること等、いっぱいあったと思うんですが、帰国してみたら見事に忘れました。(笑)

「周りの人たちを幸せにする」という生き方を学ばせてくれたこと。誕生日をお祝いしてくれたこと。仲良くしていた村の女の子が「あなたに会えて夢が持てた」と言ってくれたこと。肩書きや能力ではなく、人間としての僕を認めてくれて、一緒に仕事をしてくれたこと。などなど、数え切れません。

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シリアで協力隊として活動していた村の近くにある「星の砦」にて

 

Q10. ぶっちゃけ、行ってよかった?

A10. 行ってよかったとしか思えません。

僕の周りに限って言えば、今まで会った協力隊の人たちは一人残らず、「行って良かった」と言ってます。そして、周りの人に「行ってほしい」って思っています。

理由は、協力隊の生活そのものも良いのですが、1番は帰国後の人生だと思います。
日本にいた時は、就職活動に悩み、自分という人間の価値に悩み、なんで生きてるんだろうかと悩んでいました。
しかし、協力隊を経て、「目の前の人を幸せにする」というシンプルな生き方を学びました。そして、「僕と出会って夢を持てるようになった」という女の子がいて、「(誰かが)夢に挑戦するきっかけを与える生き方をしたい」という自分自身の夢を持つことができました。今、講演やイベントを通して、そのメッセージを伝えています。そして、僕自身がそのメッセージを伝えるためにも、自分の可能性を認めてあげられるようになっていきました。

帰国後、自分のやりたいことで生きている人たち、目指している人たち、そして、生き方として憧れる人たちに囲まれるようになりました。協力隊の2年間そのものだけでなく、帰国したあとの人生を思っても、本当に行ってよかったです。

前回の記事に書いた彼女とも出逢いましたし!

 

ご参考までに、僕が協力隊を経て感じたことをまとめた動画も紹介しておきます!

 

 


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へむり
生まれも育ちも大阪人なのに、よく関空で止められる。留学でイギリスに、NGOでフィリピンに、青年海外協力隊としてシリアに、と訪れていくうちに、日本の「普通」に馴染めなくなっているのに、なぜかキャリアセミナーの講師を各地でしている。2015年夏より、協力隊でガーナに行った彼女に会いに行き、そのままアフリカと中東を周る旅へ。 サイト:idea journey〜 世界の「生き方」「働き方」を伝える旅

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