チベット亡命政府の拠点であり、6千人以上のチベット人が住むインドのダラムサラ。リトル・ラサとも呼ばれるダラムサラに存在する、標高2千メートルの山中の秘境、マクロードガンジに行ってきました。
チベット亡命政府の拠点はインドのダラムサラにある
こんにちは、ドイツ在住のはるぼぼです。
ネパールで出会ったチベット人のおばあちゃんの「インドに本物のチベット文化が息づく場所がある」という言葉がきっかけで訪れたインドのダラムサラ。
ダラムサラでも、標高2千メートルの山中に位置する「マクロードガンジ」がどうやらチベット亡命政府の拠点だということで、実際に行ってみました。
ダラムサラ(dharmaśālā)はインドのヒマーチャル・プラデーシュ州にある都市ダラムサラの一角にあるチベット亡命社会の中心地。ダライ・ラマ法王のチベット亡命政権をはじめ、6000人以上のチベット人が住み、リトル・ラサ(Little Lhasa)とよばれる。「マックロード・ガンジ(McLeod Ganj)」地区と、チベット亡命政府の官庁がたちならぶ「カンチェン・キション(Gangchen Kyishong)」地区からなる。Wikipedia「ダラムサラ」、tibethouse.jp 参照。
インドのダラムサラにチベットのコミュニティが生まれたきっかけ:
1959年3月にラサを追われたダライラマ14世に対し、インド政府はダラムサラの一角にあった避暑地「マックロード・ガンジ」の地を提供し、1960年に当地でチベット亡命政府が発足した。Wikipedia参照。
ダラムサラのチベット亡命政府の拠点「マクロードガンジ」
マクロード・ガンジはダラムサラの郊外の標高2,082mの山間にある。チベットからダライ・ラマ14世が亡命して以降、今日に至るまでチベット亡命政府(ガンデンポタン)の本拠地となっているWikipedia参照。
アクセス:デリーからマクロード・ガンジまではバスで約12時間。運賃はバスの種類によって異なり(550ルピー〜1500ルピー)。または、デリーからパタンコートまで鉄道で行き、パタンコートからバス(約約3時間)に乗り換える方法もあります。
バスは山道を長時間走ることになるので、ある程度お金を出して快適なバスを選ぶことをおすすめします。私が利用したバスは900ルピーでした。
インドにいることを忘れそうなマクロードガンジの風景
マクロードガンジのメインストリート。袈裟をまとった僧侶が通りを歩いています。インドでは見かけない風景です。
チベット仏教には欠かせないマニ車もありました。
たまにいる牛の姿が、かろうじてここがインドであることを思い出させてくれます。
マクロードガンジで見たチベットの日常
マクロードガンジは1時間もあれば回れてしまうほど小さな街で、観光と地元の人々の日常が共存しています。街角ではチベットの民族衣装を身に着けた年配のチベット人女性達がマーケットの野菜を品定めしていたりと、チベットの日常と思われる風景が広がっていました。
何度か通ったカフェで働く女性の息子さん。彼は私に現地の言葉で話しかけてきました。自分と顔つきの似ている私をチベット人だと思ったのかもしれません。
外国人である私はインドでは現地人から好奇の目で見られることが多々ありましたが、ダラムサラのマクロードガンジでは全くそんなことはありませんでした。そのことがインド疲れしていた私には心地よく感じられました。
マクロードガンジのチベット料理屋にはダライラマの写真
マクロード・ガンジにはチベットの人々が経営するレストランやカフェがたくさんあり、本物のチベット料理が食べられます。
店内にはダライ・ラマの写真。このように、マクロードガンジではいたるところでダライ・ラマの写真や言葉を目にしました。チベットの人々にとってダライ・ラマは特別な心のよりどころなのですね…。
外のテラス席では僧侶たちが楽しそうにくつろいでいます。チベットの僧侶というとストイックなイメージがあったのですが、カフェでおしゃべりしている姿はちょっと意外でした。
ここでは「チベット風平打ち煮込みうどん」とも呼ばれるタントゥクをいただきました。インド料理とは違った優しい味で、日本人の私には懐かしさを感じるようなほっとする味わいでした。
マクロードガンジはインド社会から隔絶された秘境
標高2千メートルを超える山間部にあるマクロードガンジは、元々イギリス人の避暑地だったそうです。
さらに上へのぼっていくと、いっそうダイナミックな景観が広がり、一般のインド社会からは隔絶された秘境にも見えました。
ただ、うっかり山中に宿をとってしまったため、滞在中何度も往復する羽目になったのは誤算でしたが…。
ダラムサラで垣間見たチベット人の気質
チベットの人々は奥ゆかしく、知らない人にむやみに話しかけたりしないといった印象でしたが、すれ違う時に微笑んでくれたり、お店に何度も足を運ぶと声をかけてくれるようになったりしました。他人の領域に踏み込むことはなくても、相手の存在は認めてくれているような気がしました。
そんなチベットの人達ですが、彼らの多くが命を懸けてインドに渡ってきたのだと思うと、彼らの見せる笑顔があまりにも尊いものに感じられて、言葉を失いました。愛する故郷を離れて暮らす苦しみや悲しみを抱えていてもおかしくない状況で、通りすがりの外国人の私にも温かく接してくれたチベットの人々…。
ダラムサラのマクロードガンジに滞在して、チベット人のたくましさと温かさを見たような気がしました。
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