著名人ゆかりの地というのは観光スポットになりがちですが、オーストリアのヒトラーの生家はひと味違いました。ある意味、こんなに歴史が生きている場所を見たのは初めてでした…。
世界新聞編集部のがぅちゃんです。
オーストリアのブラウナウに存在するヒトラーの生家は奇妙な雰囲気…。明らかにそこにあり、しかも石碑まであるのにもかかわらず、その存在が隠されたかのような雰囲気なのです。
ヒトラーという存在が禁じられているかのような…まるでハリーポッターのヴォルデモートでもいたのかと思ってしまうくらい、フィクションのような現実がそこにありました。
ブラウナウの街並はこんな感じ。
ブラウナウ
ブラウナウ・アム・イン(Braunau am Inn)は、オーストリアのザルツブルクから北へ60キロメートルのオーバーエスターライヒ州西北部のイン川の畔にある基礎自治体(Gemeinde)で、ドイツとの国境にある街。市の条例は1260年から引き継がれており、オーストリアで最も古い都市の一つ。Wikipedia参照。
アクセス:ドイツの「ミュンヘン東駅(München Ost)」からブラウナウ駅(Braunau/Inn)までは電車で約2時間。片道約2400円/約20ユーロ。オーストリアの「ザルツブルグ空港」からは車で約1時間。
ブラウナウ駅から徒歩約15分の場所に、例の「ヒトラーの生家」はありました。
こちらがヒトラーの生家。
ヒトラー出生時、この建物はゲストハウスだった。ヒトラーの両親はこの建物の部屋を借りており、ヒトラーが3歳の時まで家族でここに住んでいた。Wikipedia参照。
現在は空き家だそうで、なんとも生活感のない扉でした。それよりも…
壁の黒いシミがなんとも不気味に見えてしまいました。「何かいそう…」と窓を覗いてみたところ…
何も見えませんでした…。本当に誰も住んでいないみたいです。
ヒトラーの生家そのものは「ただの建物」といった雰囲気でしたが…
石碑というよりは「歩道に岩が置かれている」という感じで、妙に目立っていました。石碑に書かれた文字を読んでみると…
「平和、自由、民主主義のために。ファシズムを二度と繰り返さない。数百万の死の記憶」とドイツ語で刻まれていました。
1989年、ブラウナウ市長のゲアハルト・シーバはヒトラーの生家の前に、戦争とファシズムに反対する石碑を建てた。石碑の正式名称は「戦争とファシズムに対抗する追悼の石碑」であり、マウトハウゼン強制収容所敷地内の石を使用している。Wikipedia参照。
不思議なことに、「戦争とファシズムに対抗する追悼の石碑」がヒトラーを意識したものなのにもかかわらず、「アドルフ・ヒトラー」という文字は一切見つかりませんでした。まるでヒトラーという存在を隠しているかのようで、「ヒトラーがいなかったことにしたいのでは…」とさえ感じてしまいました。
観光客がたむろできないように、駐車場とバス停はあえてヒトラーの生家の正面に設置されているそうです。
隠されているかのように見えたヒトラーの生家の雰囲気ですが、あながち雰囲気だけではないのかもしれません…。
【5月28日 AFP】オーストリア政府は27日、ナチス・ドイツ(Nazi)の指導者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の生家がネオナチの「聖地」になることを阻止するため、この住宅を収用する法案を提出した。AFPより引用。
ヨーロッパではヒトラーがタブー視されていることもあるようですが、ヒトラーの生家はそれが体現されている場所と言えるのかもしれません。ヒトラーを避けるあまり、意識していることをかえって示しているかのようで、ヒトラーの歴史が生きている家のようにも思えました。
とはいえ当時ヒトラーは3歳。ただ住んでいただけなのに、ダークツーリズムさながらな業の深さを感じる場所でした…。
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