景気がよさそうなラスベガスにだって陰の部分はあります。陰の底辺を這い回った一人の旅人の話です。
こんにちは。webクリエイターをしている masuyama です。
2007年当時、アメリカをバスで周っていて、ラスベガスにも行ってみました。
安宿が手に負えない
ラスベガスに到着して、いつもなら宿を当てもなく探しますが、今回はネットで少し調べておきました。ラスベガスには安宿が2つほどあり、一つはネットを見て満員だったので、もう一つの空いている宿を目指します。
金曜日は観光客がピークに達するらしく、宿もフルになったり、高くなったりするらしいので、バス停から予約しようかなと思いましたが、僕の語学力だと電話代がもったいない気がしてやめて、とりあえず、 歩いてみます。
歩いて、30分ほどして思いました。バスを使えばよかった。ラスベガスはけっこう大きいのです。それから15分ぐらいして、安宿になんとか到着。
「部屋はある?」と聞くと、両方に鼻ピアスをあけた大柄な白人のお兄さんは「予約はしてるのかな?」と聞いてきます。なんか、まずい予感。
「いや、してない」と僕。
申し訳ない顔で「ごめんよ。2時間前にいっぱいになってしまったんだ」と、鼻ピ。
「マジか 」と自分につぶやきます。「わかった。ちょっと座っていい?」と鼻ピに聞くと「もちろん、もちろん」と、片手にフライパンを持ちながら勧めてくれました。鼻ピがご飯を作ろうとしている所に僕が強引に話していたので、彼はそんな格好になっていました。
「安宿は他にないかな?」と聞くと、ネットで満員だった宿を紹介してくれました。「わかった、ありがとう」と笑顔でそこを出て「さて、どうするかな」と自分に話しかけます。近くに公衆電話があるので、ダメもとでその安宿に電話します。
「ハロー」とスタッフ。
「ハロー、私は泊まりたい。あなたのホテルに」と僕。
「今はどこにいるの?バス停かな?」とスタッフ。
「ノー。ラスベガスブルーバード12ストリート。部屋はある?」と僕 。
「大丈夫だよ。君のIDを教えてもらえないかな? (と、聞こえたから、一生懸命にパスポート番号を2回も言ったら) わかった、とりあえず来て」と言われました。
とりあえず、その宿に向かってみると、途中から荒廃した景色が目の前いっぱいに広がります。そういう場所では、黒人が画になりますが、こちらに突撃してこないことを祈ります。その景色は結局、宿まで続きました。
宿のお兄さんは気さくな人で、さっきのボッコボコな英会話の電話相手が僕だと分かると、すこし笑っていました。
6人用のドミトリーには僕しかいませんでした。満員って、なんだったんだろうな。相変わらず、わからないことが多いです。
隣の店でチキンとポテトとピザを買って食べたら、よくこんなにまずいもんを作れるなと感心しました。久しぶりに全部、食べきれませんでした。まずすぎたせいかわかりませんが、お腹がとても痛くなり、薬を飲んだらすぐに良くなりました。単純な体に生まれて来た自分にも感心しました。
ハードロックカフェのお姉さんが手に負えない
次の日、ラスベガスの繁華街に繰り出します。
ホテルが一つ一つ個性的に作られています。自由の女神もあれば、
歴史をみじんも感じさせてくれないスフィンクスもあります。
お昼は豪勢にハードロックカフェ。ジューシーなハンバーグをぱくついて、コークをゴクゴク。だいぶ、アメリカンな食事に慣れてきました。僕の受け持ちのおねさんはなぜか、やたらとコークのおかわりをもってきてくれます。
支払いの時におつりをもらって、そこからチップをあげるつもりだったけど「おつりは全部もらっていい?」と、おねさんに笑顔で言われ「う、うん」としか言えませんでした。
早く「NO 」と言える日本人になりたいです。
ニュージーランド人が手に負えない
明日はグランドキャニオンの日帰りツアーなので、早めに宿に戻ります。僕のドミトリーには日産の外国人社長みたいな顔したニュージーランド人がいました。夜中には韓国人のお兄さんも入ってきて話を聞くと、飛行機が遅れたからこの宿に移動させられたらしいです。「そうか、たいへんだね」と言って、明日、早いからさっさと寝る僕 。
4時頃に目が覚めます。なんか、物音がしました。見ると、日産の社長が女の子を連れ込んでいました。そして、ベットの中で2人でもぞもぞしています。
「なんだ、なんだ。車検でもしてるの?」と、さすがにそんなことは思いません。軽く、吐息も聞こえてきます。韓国のお兄さんも気付いたらしく、寝返りをうっています。日韓チームかなり困惑。
外人だから派手な音でもたてるのかと、勝手な先入観があったけれど、地味にやり始めました。なんか 、それにむかついて目覚まし時計を少し早めにセットします。たぶん、彼らが最高潮の時に「ピ ピピ、ピッピッピッ」と僕のアラームが鳴り始め、なにくわぬ顔で身支度をはじめる僕。
彼らを見ると、寝たふりをしていました。さすがに人前ではやらないみたいです。もし、やり出していたら、さすがに「NO 」と言える日本人になろうと思いました。
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