以前紹介して計2652いいねがつくなど大反響だった、「世界一周子育ての旅」でおなじみ森本家が帰国したというので父・創さんにインタビューしてきました。現地に家を借りて住み、子ども2人を幼稚園に通わせるという破天荒な旅を終えて、父は何を思うのでしょうか?
本インタビューでは、森本家の詳しい紹介などは割愛しています。以下の記事を併せて読まれることをオススメします。
▶︎2人のこどもを連れて世界一周する「森本家」の旅まとめ
下記は旅の途中におこなった創さんのインタビューです。
▶︎なぜ、子どもを連れて世界一周なのか?「森本家」の父インタビュー・前編
▶︎「世界一周できたのは子ども達のおかげ」森本家の父インタビュー・後編
森本家の父・創さん
1981年生まれ。31歳。旭硝子㈱に8年勤めた元サラリーマン。「30歳になったのを機に、ここらで世界をざっと一通り見てみたい。家族で24時間×365日×2年弱ずっと一緒に過ごしてみたい」
ーー日本にはいつ戻ってこられたんですか?
12月18日です。最後に滞在した国がベラルーシだったんですが、経由したフィンランドで飛行機が飛ばず1日遅れてしまいました。
ーー2012年の8月1日に出発して約1年半の旅が終わりました。今の率直な感想は?
何より、家族全員が無事に戻ってこれてよかったです。ただ、感慨に浸るというよりは、新生活に向けてワクワクしています。
ーーこれから何をされるんですか?
飛騨で地域活性の仕事に関わります。世界一周しながら各地に住んでみて、日本に帰りたい、そして都会ではなく田舎に住みたいと思うようになったんです。
ーー旅を終えて、トキゾーくんとタラくんは何て言ってますか?
また、世界一周に行きたいって(笑)。実は、旅中に何度か「旅をやめて日本に帰るか?」って聞いたことがあったんですが、ふたりは一度も「帰りたい」とは言いませんでした。
ーーふたりは日本が恋しくなったりしなかったんですか?
日本が恋しくなるというより、ふたりの関心は、じいじやばあばに会えなかったり、日本食が食べれなかったり、お友達と会えなかったり……。そういう個別のところにあるんですね。だとすると、それら「できないこと」と引き換えに世界には楽しいこともたくさんあるんです。
ーーというと?
ふたりはガラパゴスが一番楽しかった(※トキゾーが世界一周でやりたいことは「ゾウガメに乗ってトルコアイス食べたい」)みたいなんですが、旅を続けていればそういう楽しいことがまたあるかも!って期待するんでしょうね。だから帰りたくないと。
ーーふたりが世界一周しているという感覚は無かったのかもしれませんね。
世界地図だってちゃんと認識していないですからね。肌の色が違う人がいて、言葉が通じなくて、でも父ちゃんと母ちゃんは側にいる。ふたりにとっては隣町にでも遊びに行く感覚だったのではないでしょうか。
ーー森本家の旅でユニークなのが、各地で家を借りて住んでしまったということだと思いますが、一番住みたいと思った国は?
うーん……カメルーンとベラルーシでは少なくともないですね。驚きとか発見はたくさんあるんですが、何もかも違い過ぎて普通に旅するのもつらいですから。
ーーでは……?
スペインかモンゴルですかね。モンゴルは遊牧民のゲルにホームステイしたんですが、住みやすくはない。でも、モンゴル人は日本人とルーツが同じなのでどこかホッとするというか。
ーースペインは?
北部のロスアルコスという村に住む知り合いの家に泊まったんですけど、あそこなら住んでもいいかもしれないですね。僕らが泊まった部屋はバル(スペインの社交場のような場所)の2階にあって、その建物は村の役場も兼ねていたんです。そこに、毎日農作業を終えた村人が集まってきてはお喋りをしたり……。とにかくのんびりしていて居心地がよかったです。
ーーそもそも、なぜ家を借りて住もうと思ったんですか?
まず、子どもを現地の幼稚園に通わせたいというのがありました。そうすれば、現地のお友達もできます。現地に住んで、市場に行って食材を調達して、家で料理を作って食べる。そんな日本と同じ生活を海外でしてみたかったんです。それは、旅をしながらもトキタラにとってベースキャンプのような場所を作ることでもあったと思います。
ーー現地の幼稚園に通って子どもたちに変化はありましたか?
まず、言葉を覚えますよね。例えばトルコでは幼稚園に通い出してから、ふたりのトルコ語がメキメキ上達しまして。家族でレストランに行った時なんか、逆に通訳してもらったこともありました(笑)。
あと、カメルーンの幼稚園には「ダンスの時間」があるのですが、今でも音楽が鳴ると踊り出すふたりを見てびっくりしています。
ーー色々な刺激があったんですね。
それは間違いないと思います。最初の国カナダで幼稚園に行った時はふたりとも緊張していて、ペルーではタラが幼稚園に行くのが嫌だと言い出しまして……。でもいくつかの国で幼稚園を経験すると、すぐに友達ができるようになりました。ふたりは新しい環境でやっていく自信がついたのではないでしょうか。ただ……
ーーただ?
この間、ふたりを連れて年明けから通う幼稚園に行ったのですが、比較の対象がカメルーンや、ペルーの幼稚園なんですね。タラは特に日本の学校に行ったことがなくて「カメルーンはこうだった」「ペルーはこうだった」とか何かにつけて海外と比較するので、幼稚園の先生が困ってました(笑)。
ーーこれは個人的に気になっているのですが、旅中に子どもを叱ったことで思い出すことはありますか?
叱ったということではないんですが、途上国などで、手や足のない人が路上にいたりしますよね。ふたりがそういう人をはじめて見て、笑ったことがあったんです。
ーーでも、悪気はないですよね?
あの時は「笑ってはいけない」と教えました。言葉が通じない中でそういう反応をすると、悪気はなくても相手に誤解されるよって。子どもたちの安全管理の面からも、そういったことには気を遣いました。
ーー一番印象的だった国はどこでしょう?
1スペイン、2カメルーン、3ベラルーシの順でしょうか。2、3は色々なことが違いすぎてつらいこともあったけど、オリジナリティーがあって「行けてよかった国」と言ったほうが正しいでしょうね。
ーー何故スペインなんですか?
サンティアゴ巡礼が僕の中では大きかったですね。キリスト教の聖地サンティアゴを目指して500kmを1ヶ月かけて歩きました。その間、子どもとゆっくり話すことができたんですよね。
ーーでも、旅の間ずっと一緒にいた訳ですよね?
そうなんですけど、旅って実は忙しいじゃないですか。次の目的地の情報を調べたり、思いがけないトラブルがあったり……。でも、巡礼中は朝から夕方まで歩くしか無い訳で。旅中に一番子どもたちと話をして、歌を歌って、遊んだんじゃないでしょうか。
ーーなんかいいですね。
旅中は絵本もあまり読んであげられなかったので、道中に大きな木があればそれを題材に話を作って聞かせたり……。空に浮かんでいる雲を見て何の形に見えるかクイズを出し合ったり……。日本にいる時、僕はふたりとあまり一緒にいてやれなかったので、家族みんなで長い時間一緒にすごせたのは、この旅に出てよかったと思えることのひとつですね。
ーーお父さんお母さんがずっと一緒にいてくれて、世界一周は子どもたちにとって楽しいことばかりだったんじゃないでしょうか。
でも、最後に日本への飛行機に乗ってシートベルトを締めた時、ふたりが「父ちゃんホッとしていい?」って僕に聞いてきたんです。
ーーそれはドキッとしますね。
隣町に行くような気分じゃないかと言いましたが、ふたりなりにプレッシャーはあったと思います。僕と嫁しかいない中で、「この手を話したらヤバい」というような。
ーーお父さんとしても、ふたりを守らなきゃいけないというのは常にありましたよね?
ずっとアウェーというか、どんなに治安のいいリゾート地に行っても体のどこかは緊張していましたね。何かあったら最前線に立つのは親ですし、一瞬でも子どもから目は離せませんから。だから、今はホッとしています。嫁さんとハイタッチしたい気分です。
ーーでも、1年半も旅をしていたら、終わる寂しさはありませんでしたか?
それはあまりなかったですね。僕は旅の途中から日本を次の目的地だと思うようになったんです。それはやっぱり、飛騨という新しい土地に住むからですね。人生も旅も新しい目的地ができると面白いじゃないですか。だから、僕らの旅はまだまだずっと続いていくんだと思います。
取材協力・写真:森本家
文:デスク
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