生きた羊を手に入れ、さばき、食す。イスラム教の習慣「犠牲祭(イード・アル・アドハー)」を、モロッコ・シャウエンの一般家庭にお邪魔して体験してきました。(※動物の血や死体などが苦手な方の閲覧はお勧めしません)
こんにちは。世界放浪中の旅人のカイです。
モロッコ・シャウエンを旅していたら、素敵なご縁に恵まれてモロッコ人の一般家庭で犠牲祭の様子を見学させていただいたので、その様子をご紹介したいと思います。
一家総出の正月みたいな雰囲気でした。
犠牲祭(イード・アル・アドハー)とは?
犠牲祭とはイスラム教の祝日の一つで、羊やヤギ、馬といった動物を神に捧げる日。
イスラム教が信仰されている国・地域で広く行われていいます。
アラビア語でイード・アル・アドハー、トルコ語ではクルバンバイラムと呼ばれ、日本語では犠牲祭と訳されています。
犠牲祭の由来
預言者イブラーヒーム(アブラハム)が夢の中で聞いた神(アッラー)のお告げをもとに、息子のイスマーイール(イシュマイル)を犠牲に捧げようとしていました。イブラーヒームの神への深い服従心をみたアッラーは息子を犠牲にすることをやめさます。イブラーヒムは息子の代わりに羊やヤギを犠牲にした。
…というのが由来だそうです。
犠牲祭はイスラム歴の12月10日から4日間にわたって行われます。
筆者が訪れた2017年は9月1日から4日間の日程で行われました。(2018年は8月22日からの4日間だそうです)
※イスラム歴は月の満ち欠けで日を読む太陰暦のひとつ。わたしたちが一般的に使っているカレンダーはグレゴリオ歴といって太陽暦(地球が太陽の周りを回る周期をもとにして作られた歴)の一種なので、わたしたちのカレンダーでは犠牲祭の日程は毎年異なる日にちとなるのです。
「青の街」で知られるモロッコのシャウエン
今回たまたま犠牲祭の時期にモロッコを旅していた筆者。
2017年の犠牲祭の初日にあたる9月1日にはモロッコ北部のシャフシャウエン(シャウエン)に滞在していました。
フェスやタンジェといった近隣の街から頻繁にバスが出ているためアクセスもよく、シーズン中はヨーロッパをはじめ多くの観光客で賑わっています。
このシャウエンは青の街として有名で、旧市街は壁や階段が青一色。
狭い路地が迷路のように入り組んでいて、青の迷宮と呼ぶにふさわしいモロッコ独特の景色を楽しめる場所です。
そんなシャウエンで、在住の方と偶然にも知り合い、犠牲祭当日にお宅に招待していただけることになったのです。
街中で買われていく動物たち
犠牲祭間際になると街では羊やヤギ売りの姿が目立ちました。道のいたるところで動物が売られていて、周りには人だかりができていました。
ひとつの家族で一匹のヤギか羊が必要で、お金に余裕のある人は一匹だけではなく数匹の羊やヤギを買い、男性のいない親戚家族や貧しい人に配るようです。
犠牲祭当日、動物は屋上で待機
犠牲祭当日は朝9時頃にお宅にお邪魔させていただきました。宿から歩いて向かいます。
お宅に到着後にお茶をいただいてからテラスに上がらせてもらいました。テラスから続く屋上には動物たちが待機しています。
前述したように、犠牲祭では自分たちだけでなく貧しい人や親戚・親しい人たちにお肉を配ることを前提としています。
そのため、一家庭でも数匹用意するのが一般的だそうです。
血抜きの作業は数分
しばらくすると、屋上から一匹ずつテラスに移されて犠牲祭スタート。解体業者なんて使いません。家の男性陣がすべて取り仕切ります。
兄弟総出で暴れるヤギをしっかり抑えつけて、頸動脈をナイフで切ります。
なるべく苦しまないように一発ですっぱりと切断していきます。ただ抑えつけるだけでなく怖がり暴れるヤギを安心させるように優しく頭を撫でてやっていました。
ナイフを入れると首から血しぶきが勢い良く弧を描いて吹き出し、タイル張りのテラスがみるみる赤く染まりました。
ヤギは少しバタつきましたが、しばらくすると最後の息を吹いて絶命していきます。
数分の作業でした。
男性陣はかなり手慣れた様子で迷うことなくナイフを入れ、女性陣が周りで迅速にサポート。
家族総出でスピーディーに行われていきます。
家族総出で解体作業
首を落とした後は、皮を剥ぎやすくするために足から空気入れを差し込み、皮とお肉の間にパンパンになるまで空気を入れていきます。
使用しているのはどの家庭にもある普通の自転車用の空気入れ。
ちなみに解体の際に使用している刃物も特別なものではなく、普段、料理などに使っている包丁を使っているとのこと。
道具も含めてすべてが通常運転。もちろん特別な祝日ではあるのですが、家族にとっては毎年必ず来る年中行事なのです。
皮を剥いだ後は吊るされた状態で丁寧に解体されていきます。
子供も大人も一緒になって解体作業は行われます。小さいお兄ちゃんも見よう見まねでお手伝い。
実際にナイフを使って作業を行いながら、やり方を仕込まれていくんですね。
と殺が行われている横では子供たちが作業を見守りながら、切り離された頭で遊んでいました。
数年したら子供達も戦力の一人として犠牲祭に参加していくのでしょう。
すごく衝撃的な光景のはずなのに、なんだかほんわかした一家団欒の様子を見ているようでもあり、不思議な感覚です…。
食べられる部分は全て食べる
動物を吊るしたらお腹部分を割いて内臓を取り出します。もちろんこの内臓も余すことなく活用し、おいしくいただくことになります。
内臓だけでなく、剥いだ皮も足も頭も有効に活用されます。
犠牲祭の期間は街のいたるところで動物の皮が干されていたり、通りのいたるところで頭部を焼いている風景を見ることができます。
無駄なくすべていただく。
動物たちにナイフを入れる瞬間からも感じましたが、命を捧げてくれる動物たちへ最大限の敬意を払っていることが犠牲祭の各場面や人々の動作が如実に物語っていました。
一匹目が終わったら、すぐに次のヤギか羊をさばいていきます。最後まで手際良く順繰りに執り行われていきました。
犠牲祭の料理をいただく
動物の処理がひと段落すると女性陣が料理を作り始めます。
犠牲祭初日は新鮮な内臓を優先的に食べるのだそう。
招いてくれたお宅のお母さんとお姉さんたちが腕によりをかけてヤギと羊のレバー煮を作ってくれました。
レバーのバーベキューも。新鮮だからか全く臭みもなく柔らかくて、おいしくいただくことができました。
イスラム教の教えの中には「旅人に優しくする」というものがあり、モロッコ以外のイスラムの国々でもたくさんの優しさを享受してきました。
このシャウエンのお宅でも「もっと食べろ、たくさん食べろ」と常に気を使っていただき、お腹いっぱいになるまでご飯をいただきました。
モロッコの犠牲祭を体験してもっとも印象的だったこと
動物の殺し方、処理の仕方、調理の仕方、いただき方、犠牲祭に関わるすべてのことが家族で脈々と受け継がれ、宗教的な意味とともに慣習が大切にされている。
その光景には、素直に感銘を受けました。
イスラム教の犠牲祭と聞くと、なにか特殊で儀式的なものを想像してしまうかもしれません。
しかしモロッコのお宅で実際に見た犠牲祭は「祝日を家族で祝う」という日常の風景だったように思います。
日本のお正月のように家族が集う賑やかさと祝日独特の高揚感に満ちた温かい一日でした。
以上、モロッコからカイでした。
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カイリカコ
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