旅作家・武重謙が世界一周しながら、各地でインスピレーションをえて書く世界一周小説FACTORYのインド編です。※この文章はフィクションです。
photo by NeilsPhotography
バイト先の先輩に誘われて、ぼくらはインドにやってきた。
「な、来て良かったろ?」
先輩は指先についたカレーを舐めながらぼくを見た。その舌先が皮を剥かれた蛇のように見えた。
「にしてもさ……、お前、さっき物乞いに金やったろ?」
舌先がチラリとこちらを向いた気がして、慌てて視線を先輩の目に移した。たしかにぼくはそこの角に立っていた人差し指と薬指がない少年に十ルピーを渡した。日本円にして十六円くらい。はした金だが、甘いチャイも飲めるし サモサも食える。
「ダメだよ。物乞いに物をやっちゃ。お前は初めてだから知らないだろうけど、インドの物乞いはただの貧乏とはわけが違うんだ。金ほしさにどこかから赤ん坊を借りてきて、ミルク代をせびる女もいれば、組織ぐるみの物乞いってのもいるんだよ。ストリートチルドレンを見つけてきて、手足を切り落として、そいつを道路に立たせて物乞いさせるんだ。で、その金は組織に回るってわけ」
「でも全員がそうとは限らないですよね?」
「ヘタに働くより、手足切り落として物乞いしたほうが金になるんだ。楽だから物乞いやってる奴もいるんだよ。おかしいだろう? なんで手足がなかったり、折れ曲がった人があんなにいるんだよ」
「でも、何にもあげないよりはいいじゃないですか」
「金をやっても腹はふくれないよ。ふくれるのは組織の大人だけ。むしろあげない方が長い目で見れば物乞いも減っていいんだよ。お前もしばらくインドにいれば分かるよ」
先輩はキレイになった指先をまたカレーに突っ込んで、その中に沈んでいた骨付きの鶏肉を取り出した。それを口に入れると、頬を膨らませたり凹んだりさせ、最後に骨だけを唇から出した。その様子を見ながら、言い返したい言葉をグッと飲み込んだ。
「やっぱりインドで食うチキンカレーはうまいね」
「ナンじゃないんですね」
「ほとんどチャパティか水膨れした大粒の白米だな。これがうまいんだよ」
「よく知ってますね」
「まあな、もう何回も来てるから」
一日目にして、先輩と一緒に来たことを後悔していた。映画を見ながら、横であらすじを語られているようだった。
「ほら、手で食う時はさ――」
と、カレーまみれになった手をぼくの前に突きだして、手の使い方を説明してくれるのだが、その手からカレーか米粒が落ちてぼくの皿に入るんじゃないかと思うと、気が気でなかった。
「な? 分かるか? インド人は手先をスプーンみたいにして、器用に食うんだよ。最初、これに慣れなくてなァ。俺が初めてインドに来たときはさ――」
日本にいるときはこんな先輩でもスゴイと思っていた。何度も海外に行ったことがあって、いろんな国のことを語れる先輩が、今どきの言葉で言えばグローバルとかインターナショナルの代表みたいに見えて、憧れてさえいた。だからこそ、こうして一緒に来たわけだけど、どこか拍子抜けしていた。
「ほら、さっさと食えよ」
「もう腹一杯なんで……」
「そうか、じゃ、食後のチャイでも飲みに行くか」
先輩はぼくの分のお金も払って、そのまま店を出た。外は陽が落ちて、ビルの角に夕焼けが引っかかって残っているばかりだ。道にはひっきりなしに人が行き交っている。インド人はもちろん、観光客や袈裟を着た僧侶がインド人の間を縫うように歩いている。
先輩の後ろを歩いていると、頻繁に幼い物乞いがやってきて、手を出す。
「テンルピー、プリーズ」
と恐らく唯一知っている英語を何度も繰り返す。テンルピー、プリーズ。テンルピー、プリーズ。テンルピー、プリーズ……。言うたびに表情も変わる。最初は無表情なのが、少しずつ哀愁を漂わす。自分のお腹に手を当て、お腹が空いたことをアピールしたり、手でぼくの足に触れる。ぼくからお金がもらえないことが分かると、うつむき、次の人を探す。
「こういう子も組織の人なんですか?」
前を歩く先輩に声をかけた。
「そうかもしれないし、違うかもしれない。誰も答えは知らないよ。普通に家があって、小遣いほしさにやってるのもたくさんいるし、本当に貧しいか分かったもんじゃないよ。旅慣れしてる奴らは誰もあげないよ。そういうもんさ」
「旅に慣れるって無関心になることなんですか?」
「お前だって、しがないフリーターで、金に余裕があるわけじゃないだろう? 支援とかしたかったら、まず自分に余裕がないと」
「でも、百円二百円ならあげる余裕はありますよ」
「それじゃ、何にもならないだろ? 数百円で何人救えるんだよ? どうせこの子らの一生をサポートする気もないし、旅が終わりゃ何事もなかったように日本に戻って、それっきりだろ? 目の前に問題があるから何とかしたいのは分かるけど、そんな簡単じゃないんだよ。そういうのは国とかNPOが体制的に解決しなきゃいけないんだよ。――それよりさ、チャイだけでいいか?」
目的のチャイ屋についた先輩は横にあるサモサを指差した。芋を生地でくるんで揚げた、インドの軽食だ。
「俺、一個もらうけど、お前は?」
首を横に振ると「そっか」と先輩が手際よく注文し、チャイを受け取った。
「日本で食べたいとは思わないけど、インドに来ると食いたく……。あッ!」
先輩が何かに気付いたように路上を指差した。その先を追うと、さっきぼくが十ルピーをあげた人差し指と薬指がない少年が歩いていた。
「今から家に帰るか、組織の連中に会って集めた金を渡すか、だな。お前のあげた金もそこに行くんだよ」
たしかにどこか目的地に向かうような足取りではあったが、やせ細った身体は弱々しく、押せばそのまま倒れてしまいそうだった。
ぼくは慌ててポケットからお金を出してサモサをひとつ買った。そのサモサを持って、例の少年のところに駆け寄り、手に握らせた。親指と中指でサモサを握り、ひと目ぼくを見てから急いでサモサを食べ始めた。どことなく後ろめたそうに、サモサを身体で隠すように食べていた。半分ほど食べると、少年は足早にまた歩き始めた。去って行く彼の後ろ姿を見ていたが、彼は一度も振り返らなかった。
「何やってんだよ」
チャイ屋で待っていた先輩はぼくを睨み付けた。
「物乞いの一生をサポートすることなんてできないし、体制的に解決する方法なんて知りませんけど、たかが数円のサモサひとつで腹が膨らむならいいじゃないですか? 全員助けることなんてできないけど、少なくとも今ちょっと幸せになれるなら、それでもいいじゃないですか。その例の組織だって食い終わったサモサは取り上げないでしょ」
でもよ、と言葉を探している先輩の横でチャイ屋に並ぶサモサを指差して注文した。何個? と聞いてくる店の主人に「全部」とジェスチャーで伝えると、少し驚きつつも数えながら袋に入れ始めた。
「お前……」
「全部買っても、ぼくらの時給分もしないですよ」
「でも……」
「旅慣れしてないんで、手伝ってくれますか?」
「お……、おう」
一杯になった袋を先輩に持たせて、物乞いが集まる路上に向かった。勘のいい子どもたちが先輩の袋に群がり始める。ひとつあげても「もう一個」とすぐに手を出す。その様子を見て、更に子どもたちが集まり、いつの間にか先輩の周りが人だかりになっていた。
ぼくはその人だかりを横から眺めていた。子どもたちは押し合いながら先輩の持っている袋に手を伸ばす。大慌てで子どもたちにサモサを配る先輩と、必死の形相でそれをもらおうとする子どもたちを見て、おかしくて、悲しくて、笑うことも、泣くこともできず、ただ黙って見ていることしかできなかった。
サモサがなくなり、それでもねだる子どもたちからぼくと先輩は走って逃げた。それでも絡みつくように子どもたちがついてくる。少しずつ足を速め、最後にはインドの夜道をふたりで走っていた。もうだれも追いかけては来ないが、町外れのホテルまでただ黙って走り続けた。
文・写真:武重謙
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