過酷な環境で美しく生きる人々がいる。震災前に出会った6人のネパール人を想う

2015.04.29 20:00 
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ネパール人を知ってほしい。思い出してほしい

世界新聞で小説の連載をしている武重です。4月25日、ネパールで起きたマグニチュード7.8の地震のニュースを見て、いても立ってもいられず、大好きなネパールのために、何か書かなくてはならないと思い立ちました。

ネパールに行ったことがない人には、あの美しき生活様式を持つネパール人を知ってほしいし、行ったことがある人は、あの厳しい自然の中で、強く生きるネパール人の目を思い出してほしい。その思いを込めて書きたいと思います。

 

人気のヒマラヤトレッキングは登山にあらず

ぼくは2014年の3月にネパールで、23日間のヒマラヤトレッキングをしてきました。コースはアンナプルナ・サーキットという、標高8,091mのアンナプルナの周りを1周歩くコースです。

 

この写真に見える、向こうの雪山の更に向こうまで歩きます。永遠かと思えるほどの距離。

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山の周りを回ると行っても、最高地点は5,416mまで到達する、結構本格的なトレッキングコース。ちなみにヒマラヤでは標高や管轄によって、用語を使い分けています。これによって許可証などが異なりますので注意。

トレッキング → 標高5,500mまで
ピーククライミング → 標高5,500〜6,500m
エクスペディション → 標高5,500m以上(難易度の高い山)

 

このコースに限らず、ヒマラヤの魅力は大自然を楽しむだけではなく、途中で出会う村や人を通してみる文化的な体験にあります。

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世界の屋根と呼ばれるヒマラヤ山脈には村があり、今でも人が住んでいます。山の中を2〜3時間も歩けば、ひとつ村が見えてくる。建物が10軒もない小さな村もあれば、何百人も住む、少し大きな村もあります。

そして、そういう村には必ず宿があり、トレッカーはその宿に泊まります。だから、長いトレッキングなのに、食料やテントを運ばなくていいのです。もしこの村々がなければ、ぼくにこんなに長いトレッキングはできなかったでしょう。感謝しています。

このトレッキングのことを語り始めれば1冊の本になってしまいそうなほど、言いたいことがたくさん。でも今回は出会った人や動物だけに注目してみたいと思います。

 

ヒマラヤ山中で出会った6人のネパール人

・大荷物を持って歩くポーター

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ヒマラヤ山脈には、道路が繋がっていない村も多くあります。その村への唯一のアクセスは歩き……。生活品は当然誰かが運ばなくてはいけません。下の写真にあるような、大荷物を持って歩くポーターに何度も出会いました。ぼくらよりも大きな荷物を持って、ぼくらよりも速く、どんどんと先へと歩いて行く。その逞しさに、圧倒されました。

 

・石積みの家に住むおばちゃん

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いくら登山路が整備されているとはいえ、道が分からなくなることも……。

ある日、村の抜け方が分からず、ウロウロしていると、窓から手を伸ばして「あっちだよ」と教えてくれた(写真中央の窓に注目)おばちゃん。お互いまったく言葉が分からないものの、ぼくらの行き先は察してくれたようで、優しく教えてくれました。

この家、ヒマラヤエリアでは定番の石積みの家。原始的だけど、近くで見ると圧巻の建物。この家の周りに、実はほとんど人が住んでいません。ゴーストタウンのようでした。どうやって暮らしているのか、考え始めると頭が混乱してきます。

 

・麦からお酒を造るおじさん

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麦から自分でお酒を造る、村のおじさんにも会いました。

ローカルビールと呼ばれ、地元でも愛されるお酒です。どぶろくのようなねっとりした舌触りと、甘酸っぱいヨーグルトの風味が混ざった、独特な味がします。貴重な売り物なのに、作りたてを味見させてくれました。あまりのおいしさに「お金払うからもっと!」と言って、おかわりまで頂いちゃいました。

 

・元エベレスト登頂チームの料理担当

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標高4,000m近い村の宿で会った、シェルパ族のピサンさんも忘れられない人。エベレスト登頂チームの料理担当をしていたこともあり、山で作る料理はお手のもの。仲良くなって、相方のMiaが味噌汁を作って振る舞うことに!その様子は世界新聞で書いたことがありますね!

参考→ヒマラヤのシェルパ族にみそ汁を作って食べてもらった

 

・トレッキングコースを1時間以上かけて通勤する女性

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ぼくらが疲れて道端に座り、塩分補給に、と味噌を舐めていたときのこと(味噌がすばらしい携帯食であるということは、またいつか別の機会に書きましょう)。おばちゃんが早足でやってきました。話を聞くと「隣の村で働いている」とのこと。毎日1時間以上かかる隣の村まで歩いているようです。変な茶色いものを舐めているぼくらに興味を持ってくれたので、味噌を味見してもらうことに……。「うん、ああ、うん」とどこか微妙な表情をしつつも、ちょっとした異国情緒は楽しんでくれたようです。

それにしてもぼくらが「トレッキングコース」と呼んで歩いている場所を、彼女は通勤路として毎日毎日歩いています。驚かされます。ヒマラヤはトレッキングコースであるより前に、彼女たちの生活圏であることを思い出させてくれました。

 

・自転車のタイヤを転がして遊ぶ少年

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みなさん、小さい頃、自転車のタイヤを転がして遊んだことはありますか? まさか、その光景をヒマラヤ山中で見ることになろうとは……。

この少年は左手に持った棒を使って、右手に持った輪っかを転がしながら、ぼくらとすれ違いました。あまりに可愛らしく、見覚えのある光景に慌てて写真を撮らせてもらうことに。

さきほどのおばちゃん同様、彼もここで暮らす人。彼にとってここは遊び場です。

 

人間だけじゃない

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標高5,000mを超え、ようやく日が昇り始めた頃、後方からチリーン、チリーン、と鈴の音が聞こえてきます。なんだろう、と後ろに目を向けると、遠くからヤク(毛の生えた牛のような動物)が登ってくる。しんとした雪景色の中、ただ鈴の音だけが、響き渡る様子は神秘的です。

ぼくは、これ以上澄んだ鈴の音を聞いたことがありません。そしてこれより美しい鈴の音を聞くことはもうないだろうと思っています。今でも、あの光景を思い出すと、チリーン、チリーンと鈴の音が再生されます。

 

ヒマラヤに咲くサクラ

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動物や人だけではないのです。

なんとネパール山中では桜を見ることさえできます。ヒマラヤザクラと呼ばれ、なんとネパール王室から日本へも贈られており、熱海にあるとのことです。ぼくらは、まるで日本の春とヒマラヤ山脈を同時に見ているような、不思議な感動に包まれていました。ピンクの桜と白い雪、素晴らしい光景です。

 

住むのであればネパール

ヒマラヤのトレッキングというのは、それ自体が文化交流であり、人との交流なのです。高い標高にまで登ったことも、長い時間歩いたことも、あの山の中で出会った人々との思い出を超えることはできません。

ぼくらはもう2年近く旅をしています。行った国も20を超えました。そんな旅を通して頻繁に聞かれることがあります。

「住むならどこ?」

この質問を何度も訊かれ、そのたびに本気で考え、結局は同じ答えが浮かんできます。その国がネパールです。ネパールの自然の美しさ、人間の美しさ。そして自然の中で生きる人間の力強さ。

 

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歩いて生活品を持ち込んでいるような村が地震に遭ったら…

そのネパールがいま、大変なことになっています。

ぼくはいつかネパールに住みたいと思っている。なのにこの緊急事態を見て、ニュースを見て嘆くことしかできない……。今その場にいないぼくらができることは募金しかないのだ、という考えに行き着きました。

だけどぼくらだけでは大した額になりません。


みなさんも、この記事を読んで少しでも「行ってみたいな」と思ったら、募金をお願いします。

きっと建物は崩れ、道は崩れ、陸の孤島のようになった村々が無数にあるはずです。普段でも歩いて生活品を持ち込んでいるような村に、いったいだれが救援物資を届けられるというのでしょう? 軍隊、支援隊、レスキューといった、ヘリコプターや飛行機を使える部隊だけが望みの綱です。

 

募金をお願いします

本当に陸路を遮断されて困っている人たちに助けの手を差し出すなら、それなりの機関に託すのが1番だろうと思います。主要な募金先を挙げておきます。みなさんが信頼する機関に、どうか100円でも200円でも、募金をお願いします。

日本赤十字社 2015年ネパール地震救援金
日本ユニセフ協会(緊急支援物資の配布など)
国境なき医師団(医療・緊急物資支援)
国連WFP(食料・支援物資輸送)

 

金が全てじゃありません。だけど少しのお金で救われる人もいる。少しでも早い復旧に今はお金が必要です。いつかネパールに行きたいと願うなら、そのちょっとした先行投資だと考えてはいかがでしょうか?

 

美しきネパールへの再訪を願って……。

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「何かを作る」というのが大好きで、いつの間にか小説を書くようになる(雑誌【大衆文芸】にて掲載)。世界一周を夢見てコツコツと貯金をし、30歳になりようやく出発。武者修行も兼ね、旅をしながら小説を書くスタイルに落ち着いた。 旅の様子は婚前世界放浪記で公開中。 小説:父の筆跡・秋明菊の花びら、ほか

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