旅作家・武重謙が、世界一周しながらインスピレーションを得て短編小説を書く連載「世界一周小説FACTORY」の第2作をお届けします。
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3
二年前、準備に携わった久美子は、まだオープンしていないゲストハウスに随分と愛着を感じていたようだった。去り際に女性ならではの、良いゲストハウスの条件を一覧にしてアミンに渡していた。〈トイレは清潔に〉〈ウェブサイトでは金額を明確に〉〈幼児がいる家族にやさしい工夫〉と紙二枚に渡り、事細かに書き記していた。
ゲストハウスのオープン後、アミンはその一覧をもとに少しずつ改善を進めていった。一つ達成すると、その項目に丸をつけた。そして隆之がやってきたとき、残っていた最後の項目が〈ゴミは焼却炉でキレイに燃やすこと〉だった。
数日の滞在で久美子の言いたいことが分かった。マレーシアの田舎にはゴミ回収の仕組みがない。広い庭のあちこちで乱雑に燃やし、その燃え残りが風で飛ばされ、せっかくの景観を壊していた。
きめ細やかな一覧を作った久美子だったが、彼女は二つの間違いを犯した。
ゲストハウスを出て行く際、宝物のように大切にしていたペンを忘れていった。しかも連絡先として記したメールアドレスを書き間違えていた。そのため、アミンたちは彼女と連絡が取れなくなった。
「いつもこのペンを幸運のペンだって言っていた。ペンも返してやりたいし、ゲストハウスがオープンしたことも伝えたい。私たちからメールが来ないから怒っているに違いない。もう幸運のペンだと思っていないかもな」
と、アミンは久美子のペンを手に溜息をついた。
隆之がここにやってきた日、アミンは久美子のことを事細かに話した。熱っぽく話す様子から、いかにアミンたちが久美子のことを深く受け入れていたかが分かり、心が温かくなった。話の締めに旅人がメッセージを書くメッセージノートを見せてもらった。その一ページ目に久美子のメッセージが書いてあった。
――家族であり、最初のゲストである久美子より
と、始まり、アミン一家への感謝のメッセージが続いていた。最後に『――日本に帰ったら、素敵なペンをもつすばらしさを伝えたい! 銀座でペンを売るゾ!』と締め括られていた。
隆之は一呼吸おいて、メッセージノートの最後のページを開いた。
――久美子さんのリストを完成させて、久美子さんにペンを返そう!
「なんて書いたの?」
隆之が書き込む横からアミンの娘が覗き込んだ。
「焼却炉を作るんだ。で、その後に――」
久美子さんを見つけるんだ、と言う言葉を飲み込み、首を振った。
アミンの了承も取り、翌日からさっそく焼却炉の作り方を調べた。
ぎこちない隆之を見かねて、近所の男たちが仕事帰りに手伝うようになった。女性たちも毎日コーヒーと果物を持って集まり応援した。アミン一家と隆之は互いに家族のように接していた。
「焼却炉を作ったら帰っちゃうの?」
完成の目処が立った頃、アミンの妻が言った。隆之が頷くといかにも気を落としたように「ゆっくりやりなさいね」と言い足した。
アミンの焼却炉はいつの間にか久美子の夢ではなく、隆之の夢になった。焼却炉を作り、日本に帰って久美子を探す。銀座でペン好きがペンを売るために働きたい場所などいくつもない。その一つ一つを訪ねればいい。
このボールペンを不幸のペンのままにしたくなかった。
4
「雨!」
子どもの一人が窓から外に手を出した。まだ小雨だったが、夕立となればかなりの雨になるはずだった。
アミンの娘が外に飛び出し、駐車場から大きなビニールシートを取ってきた。
「お父さん手伝って!」
子どもたちも外に駆けだした。隆之が遅れて外に出ると、アミンとその娘が焼却炉にビニールシートを被せていた。
次第に強くなる雨に濡れながら、ビニールシートに覆われた焼却炉を囲んだ。
「いっそ壊れてしまえば、隆之が帰らずに済んだのにな」
アミンが本気か冗談か分からない口調で言った。それぞれが、焼却炉を見ながら頷いた。
翌朝、熱帯の暑さで庭はすっかり乾いていた。隆之は朝食の後、一人焼却炉を見に行った。乾いて固まっていた。触って確認していると、アミンがやってきた。
「久美子は私たちの夢であるゲストハウスを手伝ってくれた。隆之もそうだ。だから私たちも何でもする。それが家族だろう?」
だから、いくらでも長くいていいんだ。アミンはそう付け足して完成した焼却炉に初めてのゴミを入れた。それを見て集まった家族の前で隆之が火をつけた。
バチバチとゴミの焼ける音がする。焼却炉から白い煙が一本の筋となって伸びた。
「――いや帰ろうと思います。日本の家族にも顔を合わせないと……」
アミンが無言で頷いた。
「それに……、もしかしたら久美子さんを見つけられるかもしれません。僕のも、久美子さんのも、やっぱり幸運のペンだったって、伝えます」
アミンはまた頷いた。そして久美子のリストにある焼却炉の項に丸をつけると、久美子のペンを隆之に手渡した。
文・写真:武重謙
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