キューバ最高峰・トゥルキーノ山にて、キューバ革命軍の秘密基地を目指すトレッキングツアーに参加! フィデル・カストロの家をはじめとする、秘密基地の様子を紹介します!
キューバ最高峰の山に潜む、キューバ革命軍の司令部
お酒と音楽とおねーさん、そして歴史をこよなく愛するナシオです。
今回はキューバ革命の英雄、フィデル・カストロやチェ・ゲバラが身を潜め、ゲリラ戦を展開する拠点となった「プラタ・デ・ラ・コマンダンシア」と呼ばれる司令部跡地を紹介します。
フィデル・カストロやチェ・ゲバラの名前は聞いた事があっても、何をした人達なのか忘れちゃった…テヘ♡という方のためにも、キューバ革命について簡単におさらいしておきます。
キューバ革命って?
キューバ革命(キューバかくめい、スペイン語: Revolución cubana)は、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらが中心となってアメリカ合衆国の影響が強かったフルヘンシオ・バティスタ政権を打倒するに至った武装解放闘争のことを指す。Wikipedia「キューバ革命」より。
Wikipedia先生は簡潔すぎてピンと来ないかもしれませんが、
「親米独裁政権により、アメリカ資本や一部の人々に富を独占され、貧困にあえぐ人々の為にフィデル・カストロをリーダーとした革命軍が立ち上がった」
と言った所でしょうか。
一連の流れをまとめると…
フィデル・カストロやチェ・ゲバラは、メキシコシティーのカフェ「カフェ・ハバナ」などでキューバ革命の計画を練りました。
その後、メキシコからボートでキューバに渡り、革命戦争を始めていきます。(メキシコから出発した8人乗りのボートに82人も乗せて出港したそうです…)
ボートでキューバ東南部へ上陸するのですが、待ち受けていた政府軍によって発見され、上陸した革命軍のほとんどが射殺・逮捕されてしまいました。
フィデル・カストロ達はこのような事態を予想していたのか、仲間たちとバラバラになった時の合流地点を決めていました。
その合流地点がシエラマエストラ山脈の「トゥルキーノ山」だったのです。 ちなみにこちらはキューバ最高峰の山でもあります。
奥に見えるのがトゥルキーノ山です。
キューバ上陸時に多くの同志を失いましたが、フィデル・カストロはシエラマエストラ山脈に再集合した同志らと共に秘密司令部(プラタ・デ・ラ・コマンダンシア)を築き上げます。
バティスタ政権を倒すべくゲリラ戦を展開し最終的に勝利する事になります。
そうしてシエラマエストラ山脈はキューバ革命を語るうえで重要なアイコンの一つになった訳です。
キューバ革命軍の司令部を目指すトレッキングツアーに参加
ツアーの始まりまでが大変
プラタ・デ・ラ・コマンダンシアへのツアー参加方法ですが、まず最寄りの村でツアーを申し込みました。(近郊の都市Bayamo(バヤモ)などからも申し込めるようですが、費用が高いです)
ルート:バヤモ → バルトロメロ・マソ → サント・ドミンゴ村(ここのホテルで申し込む)
トレッキングツアー申し込みまでの道のり1 バヤモ→バルトロメロ・マソ
バヤモから乗り合いトラック(カミオン)に1時間ほど乗り、Bartolomé Masó(バルトロメロ・マソ)という田舎町へ向かいました。(7ペソ、35円ほど)
乗り合いトラック(カミオン)では荷台に人が詰め込まれ、「ドナドナ」状態になります。
トレッキングツアー申し込みまでの道のり2 バルトロメロ・マソ→サント・ドミンゴ村
そしてBartolomé Masó(バルトロメロ・マソ)という田舎町から、ツアーを行っているホテルのあるSanto Domingo(サント・ドミンゴ村)まで向かうのですが…
サント・ドミンゴ村へは、ヒッチハイクか高額なタクシーしか移動手段が無いと言うのです…
グーグルマップで見てもわかるように、村のホテルのそばには道が見当たらないと言う辺境の地(笑)
同じ方面へ向かう人の手助けもあってなんとか乗り合いのバンに乗れましたが…
1BOXカーの後部に椅子を置いただけ! しかも私の分の椅子は無し(笑)
これで運賃7.5CUC(800円弱)でした…。
サント・ドミンゴ村に到着
そんなこんなで、無事にサントドミンゴ村へ到着することが出来ました。
キューバ革命軍トレッキングのスタート地点へ
Villa Islazul Santo Domingoというホテルで司令部見学ツアーを申し込みました。(飲み物・サンドイッチ・ガイド料などすべて込みで27CUC)
朝8:30にホテルに集合し、送迎の車に乗り込み、転んだら止まれなさそうな坂を登って行きます!!
キューバ革命軍の司令部跡地までは、距離にして3キロ、時間にして4時間のコースと書いてありました。
ついにキューバ革命軍トレッキングがスタート!
今回のキューバ革命軍ツアーは、欧米人の旅行者とキューバ人ガイドを含めて9人で行く事になりました。
みんな足が長いのか、どんどん先に行ってしまいます(笑)
しばらく歩くと、入場許可証のチェックとカメラの使用料(5CUC)を払うチェックポイントがありました。
険しい山道を越え、フィデル・カストロが潜んでいた場所へ
ここまでは比較的歩きやすかったのですが、この先から道が多少険しくなった気がしました。
ジャングルで隠れるようになった切通しを進んで行くと…
「Casa De Fidel (フィデル・カストロの家)」の看板がある場所までやってきました!
先ほどのチェックポイントから少し離れたこの辺りには、医療施設や炊事場といった革命軍の施設が点在していたという事です。
驚いた事に、革命戦争中に政府軍側はこの司令部を一度も発見できなかったそうです。
フィデル・カストロの家、発見
木々や花に覆われた道をさらに歩いていくと…
フィデル・カストロの家がありました!!
ちなみに家の周辺には、フィデル・カストロが事務仕事を行っていたと言われる建物もありました。
現在、司令部跡にある建物のほとんどは残念ながらレプリカだそうですが、建物の中に置いてあるものは全て当時の物だそうです。
フィデル・カストロの家にお邪魔してみた
冷蔵庫もあるダイニングに…
フィデル・カストロが寝ていたベッドのある寝室。
ベッドの脇の木の枝で作られた椅子もなかなか良い味が出てます。 現代史に名を残す偉人がここで寝起きしていたかと思うと胸が熱くなってきました。
おまけでチェ・ゲバラのラジオ局へ
ツアーの中盤、ガイドからこんな質問がありました。
チェ・ゲバラが開設したラジオ放送局が丘の上にある。かなりキツイ道のりだけれど皆行く気はあるか?
ツアー参加者の答えは全員「YES!!」(笑)
けれどもガイドの言っていた通り急な上り坂が続きました…。
Rage against the machineの名曲、「Guerrilla Radio」(ゲリラレディオ)を胸にくじけず登って行きます(笑)
しかし1人のオランダ人女性が過呼吸気味に…先が危ぶまれた頃になんとか「Radio Rebelde(ラジオ・レベルデ)」の看板に遭遇!
皆で無事にラジオ局に辿り着くことが出来ました。
チェ・ゲバラのラジオ局の様子
早速小屋の中を見てみると…
よくもこれだけの物をこの山の中へ運んだな、といった放送機器の数々がありました。
風化したレコードプレーヤーが歴史を物語っています。
チェ・ゲバラの発案で開局されたこのラジオ局。
初めてのリスナーはフィデル・カストロと、向かいの丘に住む農民のたった2人だったと言う話もあります(笑)
キューバ革命軍ゆかりの品々
ツアーの終盤、革命軍にゆかりのある品々が展示された小さな小屋に案内されました。
当時使用されていたタイプライターや…
フィデルが書いた同志へのメッセージと地図に…
さらにはミシンまで!
軍服やその他必要な物の縫製に使われていたと言う事ですが、荒くれ者のイメージなゲリラと繊細なミシンの組み合わせが面白くてニヤリと微笑んでしまいました(笑)
キューバ革命軍トレッキングを終えて思ったこと
さすがに敵から一度も場所を特定された事が無いと言うだけあって、司令部までのアクセスはなかなか大変なものでした。
司令部内を歩いてみても、木々や稜線に視界を遮られていて敵から見つかりにくいような工夫がなされているな…と思いました。
おおよそ4時間でツアーは終了しましたが、ちょっとしたトレッキングがてらキューバの歴史に触れる事が出来る良いツアーだったと思います!
以上、ありったけの情熱を込めてナシオがお伝えしました!
最新記事 by ナシオ (全て見る)
- リアルなアメリカの銃社会を体感できる射撃場「ロサンゼルスガンクラブ」に行ってきた - 2017/12/25
- 強風も死因になるリアル風の谷「コッパーキャニオン」に行ってきた【メキシコ】 - 2017/12/20
- 世界最短の上る鉄道「エンジェルズフライト」に乗ってみた【アメリカ・LA】 - 2017/11/28
- 世界一美しい教会「ラスラハス教会」がはりきりすぎている件【コロンビア】 - 2017/11/08
- 犯罪者は見世物。コロンビアのギャング遊園地に行ってきた - 2017/10/17