エチオピアで原因不明の39度の熱が下がらない…。妻と一緒だったからこそ、生きていられたのかもしれません。
エチオピアでダウン
こんにちは!新婚旅行で世界一周中のNO TRAVEL NO Life、大地と涼です。今回もエチオピアからお届けします。
前回の記事で書かせていただいた「ダナキルツアー」の最終日の朝、実は体調が優れていませんでした。
まわりの人が暑がっているのに寒気を感じて寝袋に包まったり、少し経つと今度はTシャツに汗をかいたりを繰り返し、その日はほとんど寝れず…。
熱を測ってみると39℃ありました。しかし、その日は解熱剤を飲んでなんとか乗り切ることにしました。
マラリアを恐れていたのですが、たぶん旅の疲れがたまっているだけだろうと軽く考えていました…。
生きていることに幸せを感じることになるとは、この時は思いもしませんでした…。
元看護師の妻も焦る
39℃の熱は下がりません。
ダナキルツアーが終わりホテルに戻ると、妻はすぐに近くの病院を調べ、早く先生に診てもらうと言ってくれました。
しかし、僕は病院があまり好きではないのと、このダルさでエチオピアのタクシーを捕まえて病院に行くということだけでも一苦労なことを想像しました。
妻は心配して何度も病院に行こうと言ってくれたのですが、僕は「ちょっとうるさいから黙ってて!」と話を遮るようにベットに横になりました。
僕は早く良くなりたいと思う一方で、もしかしたらこの熱の原因が「マラリア」だと知ることを恐れていたのかもしれません。
ダルさや体調を崩した自分への情なさなど、いろんな感情で心を乱してしまっていました。
涼は元看護師でもあるのですが、それ以上に妻として僕のことを想い、心配してくれていました。
海外旅行保険にも頼れずピンチ
結局、僕は数時間横になってもほとんど寝ることもできず、熱も下がることはありませんでした。
僕たちは海外旅行保険に加入しているため、海外で病院に行かなければいけないときは、まず保険会社に連絡します。
こちらから電話をすると保険会社がいまいる地域の病院を紹介してくれ、キャッシュレスでの対応やその後のフォローなどをしてくれて安心感があります。
しかし、この時はホテルの電話を借りてもうまく電話がつながることがなく、困っていました。
ホテルの人も英語があまり話せる訳でもなく僕たちがどうしたいのかわかっていません。
すると、ダナキルツアーの会社に連絡して英語を話せる人に事情を説明するように提案してくれました。
涼が僕の状態を伝えるとダナキルツアーの会社がメケレ病院というこの街にある大きな病院を紹介してくれ、車も用意してホテルまで迎えに来てくれました。
病院へ行くも、ツアー会社の人に助けてもらう
正直、キレイとは言えない病院、廊下にはたくさんの患者さんと診察待ちの人、そしてよく分からない受付のやり方。
ここが日本であれば病院まで来たら一安心と行くかもしれませんが、ここは勝手の分からないエチオピアです。ツアー会社のドライバーさんの助けを借りて何とか受付を済ませました。
その後診察、血液検査、尿検査等を行いましたが、はっきりとした原因はすぐにはわかりませんでした。
先生の話では「マラリアではなさそう、しかし念のためマラリアの薬も出しておく」ということでした。
この間、ツアー会社のドライバーさんは僕たちと一緒にいてくれて通訳もしてくれました。
エチオピアン寿司に励まされる
病院からホテルに戻ると、僕たちの部屋のドアにビニール袋とメッセージが残されていました。
それはダナキルツアーを一緒の車で回ったポーランド人の「ブラジィー&カトリーナ」夫婦からの差し入れでした。
ホテルやツアー会社の人から僕が体調を崩して病院に行ったことを聞いたらしく、心配して差し入れを買ってきてくれていたのです。
ツアーの最中にお互いの国のことを話していた時に「寿司」の話を覚えていてくれたのか「エチオピアン寿司?」なるものを買ってきてくれていました。
エチオピアのレストランなどでも美味しいと思うものになかなか出会えていなかった僕たちは「SUSHI」という文字にテンションが上がって、すぐに包みを開けました。
「おぉ、エチオピアン寿司…。」
僕は決して見た目が悪いからではなく、体調不良で食欲があまりなく食べることはできませんでしたがブラジィー&カトリーナ夫婦の心遣いがとても嬉しかったです。
2人はホテルも同じだったのですが、翌朝早く出発してしまうため直接お礼を言うことができませんでしたが、その後もメッセージをやり取りしています。
お魚は「お寿司じゃなくて、焼き魚だねー!」といいながら妻がおいしくいただきました。
旅先で人の優しさに触れる
エチオピアで活躍されている日本人の「まゆさん」とまゆさんのお知り合いで日本語ペラペラの「ヌヌさん」には大変お世話になりました。
僕が体調を崩した時に、妻がまゆさんに助けを求めると、知り合いの看護師さんをホテルに連れて来てくれたり、差し入れを持ってきてくれたりと本当に親身になって助けてくれました。
ヌヌさんも病院へ車で送ってくれたり先生とのやり取りを通訳してくれたりと、このお二方がいなかったら妻も不安と疲れで体調を崩してしまっていたと思います。
アフリカのエチオピアで頼りにできる優しい方がいたことは本当にありがたく、とても心強かったです。この2人は僕たちの恩人です。
マラリアかもしれないという怖さ
先生は「マラリアではなさそう」と言っていたものの、一時的に薬で熱が下がっても、時間が経つとまた発熱し、下痢や嘔吐を繰り返す状態が続きました。
普段から心配性な妻は、何かあってからでは遅いともう一つ違う病院に行けないかとまゆさんやヌヌさんに相談してくれました。
僕自身も、なかなか寝付けず熱も下がらないことに不安を感じていたので、再び病院に行くことに。
しかし再び病院へ
2回目に受診したのはエチオピアのメケレにあるBen Meskerem Hospital
この病院はヌヌさんが紹介してくださり、病院の先生とも話をして本当にスムーズに診察を受けることができました。
先生は僕の状態をみて、飲み薬の効きがあまり良くなかったということで注射と点滴に変えようと提案してくれました。
僕は注射が大嫌いなのですが、もうそんなこと言っていられないと思い、その提案を受けることにしました。
「ブス!ブス!」
注射はなんとおしりに2回もされました!注射の恐怖と痛さが恥ずかしさで少し紛れたように感じたので結果オーライでした。
そして、点滴をするためにその日から3日間、この病院に入院することになりました。
診察の結果
ここの病院の先生は僕たちに理解できるように簡単な英語でゆっくりと説明してくれました。
僕たちが一番知りたかったことはこの熱の原因が「マラリア」であるかどうかでしたが、先生は血液検査などではマラリアの反応は出ていないが、すでにマラリアの薬を飲んでしまっているためにその可能性は否定できないという回答でした。
マラリア以外の可能性としてはジアルジアという水や食べ物からくる寄生虫病とバクテリアの細菌感染ということでした。
この病院に3日間入院したことで熱は下がり、先生からも退院してもよいという話をしてもらいました。
エチオピアで妻の凄さを知る
妻の涼は、エチオピアで病院を調べる、少しでも僕が食べやすいものがないか町中の歩き回って探す、海外保険会社、大使館、ホテル、病院とのやり取り、そして日本にいる家族に連絡…
と本当にすごい勢いでいろんなことをスーパーマンのようにこなしてくれていました。
なかなか良くならない僕のそばにずっと付き添ってくれて、心配性な妻はおそらく僕以上に不安な気持ちだったと思います。
しかしその不安な気持ちをもパワーに変える強さを感じました。
エチオピアでの動向の詳細も妻が記録
そして、病院の先生に経過を説明するために体温や状態、薬を飲んだ時間などの他にもエチオピアに来る前にどんなルートで旅をしてきたかも伝えられるように紙に書き出していました。
エチオピア国内では英語が通じない場面も多くあったり、病院の先生とのやり取りでは英語でも専門的な単語が多く理解しづらかったりする場面も多くありましたが、本当に逞しく、僕は一人ではないことを強く感じました。
妻も疲れる
しかし、妻はこの期間はほとんどゆっくり寝ることもせず、ご飯もまともに食べずでこのままでは涼が体調を崩してしまうと思いました。
また、僕の前では不安にさせないように「早く元気になって美味しいものを食べよう!」「次はどこの国に行こうね?」と前向きなことを言ってくれていましたが、ふとした時に不安で涙をこらえきれなくなったり、病室の外で家族や友人に電話している泣きそうな声が僕には聞こえていました。
「できることなら変わってあげたい!」
涼がネパールで体調を崩した時もそうでしたが、お互いに自分が体調を崩すよりも相手が体調を崩した時にそれを心配する時の方が辛い。
これが二人旅をする僕たちの強さであり、弱さでもありました。
エチオピアの病院から退院後…
涼は大きな不安を抱えながら本当に僕のために戦ってくれていました。しかし、病院を退院した5日後に39℃の熱がまた出てしまいました。
もうこれ以上、いろんな人に、そして妻に迷惑をかけることはできない。僕たちは日本に帰ることを選択しました。
エチオピアにもう少し滞在していても良くなっていたかもしれません。正直、このまま旅を続けたいという気持ちも少なからずありました。
それでも自分たちのわがままでしているこの旅を家族や友人を心配さてまで続けることはしたくない。
そして何より一番大切で一番近くにいる妻に一番大変な想いをさせている。
日本に一時帰国してわかったこと
エチオピアから日本への飛行機の中で何かあったらという不安もありましたが、日本に近づくことに比例して僕の体調は不思議と良くなっていきました。
帰国後、すぐに病院に受診をしたのですが、その時はすでに熱が下がっており、特別問題も見つかりませんでした。
原因は未だはっきりとわからないものの、日本の牛丼を食べた時に、いまココで生きているということが心にしみました。
人の優しさと、いま生きているということの幸せ。そして、大好きな妻とまた旅を続けられているという奇跡に感謝したいと思いました。
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