旅作家・武重謙が、世界一周しながらインスピレーションを得て短編小説を書く連載「世界一周小説FACTORY」の第2作をお届けします。
※文章はフィクションです
1
マレーシア・ボルネオ島の西端にある小さな村にアミンとその一家は住んでいた。片側をジャングル、もう一方を白浜に挟まれ、野生の豚が子連れで住み着いていた。並んだ椰子の木の隙間から漁師の家が見えるほか、人の気配がしない場所だった。
台所の窓からは夕陽で真っ赤になった砂浜を牛の群れが帰っていくのが見えた。その手前の草地に焼却炉があった。
隆之が焼却炉を作り始めてちょうど一週間になる。セメントの混ぜ方一つ知らない隆之が、言葉も通じない中で試行錯誤し、ようやく完成を迎えようとしていた。
「もう完成ね」
台所の窓にアミンの一家が集まった。隆之は誰かが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、皆の後ろから窓を覗き込んだ。海の向こうに沈む夕陽で影になった焼却炉は不思議と美しかった。
今まで焼却炉の完成を待ちわび、応援してくれていたアミン一家だったが、完成を前に家の中はどうも沈んでいた。
夕食前のお祈りが始まった。一家は真摯なクリスチャンだった。全員が手を合わせ、食事にありつけたことを感謝する。一人だけイスラム教徒である次女と、無宗教の隆之はその間、静かに待っていた。
「――そして隆之が来てくれたことに、アーメン」
アミンの妻がそう言って食事を始めた。
「ドリアン採ってきたよ」
夕食を終える頃、玄関から声が聞こえた。
アミンの家にはよく近所の人が集まった。小学生くらいの子どもから老人まで、いつも賑やかだった。始めはドリアンの匂いに顔をしかめた隆之も、今ではすっかり好きになっていた。
「焼却炉ができたの?」
裏庭を見てきた子どもの一人が言った。
「ああ、後はセメントが乾けば完成さ」
「それじゃ、もう帰っちゃうの?」
「そうだね……」
「……好きなだけいていいんだからね」
と、アミンの妻が呟いた。
2
中学を卒業した時、ブランドもののボールペンを父からもらった。胴体は深緑と黒のストライプ、ペンクリップはペリカンのくちばしの形をしていた。それをもらってから隆之はものを書くのが好きになった。
大学を出て出版社への就職を希望したが叶わず、少しでも関連した仕事を、と選んだのが街の小さな印刷所だった。ものを書くという希望は果たされなかったが、もらった給料で気に入ったボールペンを集めるのが趣味になった。
仕事が軌道に乗った矢先、印刷所が倒産した。働き始めて四年目だった。
「もらったボールペンに振り回されちまった」
会社の倒産を知った時、つい父に愚痴をこぼした。父は呆れたように眉をしかめた。言い返してこない父の様子に心が痛んだ。
半ば自暴自棄になっていた隆之は、親の反対を振り切って、マレーシアのコタキナバルにやってきた。観光ガイドに従い、東南アジア最高峰のキナバル山を見て、近場の無人島で薄藍色の海と無垢な白浜を見た。景色は良かったが、気持ちは晴れなかった。
帰る日まで時間があった。オープンカフェでノートを広げ、ペリカンのボールペンを片手にこれからのことを考えた。空になったコーヒーカップと、いっこうに文字の埋まらないノートを広げる隆之に通りがかりの男が声を掛けた。
「二年前に日本人がうちにきたんだ」
仕事帰りだというアミンは向かいに座り、たどたどしい英語で語った。
当時、自宅の横にゲストハウスを作ろうとアミンは準備を進めていた。手伝いが欲しくてボランティアを募集したところ、やってきたのが久美子だった。一ヶ月ほどアミンの家に滞在し、準備を手伝い、家族のように親しくなった。しかし、久美子とは訳があって連絡が取れなくなった。
「そのペンを久美子も持っていたんだ」
アミンは隆之のペンを指さした。
「うちに泊まりにこないか。金はいらない」
隆之はアミンのゲストハウスに泊まることになった。目の前に広がるというプライベートビーチや椰子の木に惹かれたわけではなかった。
父にぼやいた言葉を悔いる気持ちが背中を押した。
後編へ続く
文・写真:武重謙
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