アルメニアで起こったジェノサイドの歴史について展示している虐殺博物館。かなりショッキングでしたが、直視せずにはいられませんでした。
こんにちは!自称マジシャンせがわーるどです。大学で勉強しているロシア語を使い旧ソ連諸国を周っていました。僕が旧ソ連で忘れられない国の一つに、アルメニアがあります。
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By kentronhayastan, Ssolbergj – Ssolbergj's work, パブリック・ドメイン, Link
アルメニアは、南コーカサスに位置する共和制国家。東ヨーロッパに含められることもある。1991年にソビエト連邦から独立した。参照:「アルメニア」
街並みもきれいで、人も優しく何より美女が多い(僕が今まで訪れた国でも最も美女遭遇率が高かった)です。
そんなアルメニアで僕はとある博物館を訪れました。これは19世紀末から20世紀初頭に起こったアルメニア人虐殺に関する施設です。
アルメニア人虐殺は、19世紀末から20世紀初頭に、オスマン帝国の少数民族であったアルメニア人の多くが、強制移住、虐殺などにより死亡した事件。
ヨーロッパ諸国では、特に第一次世界大戦に起きたものをオスマン帝国政府による計画的で組織的な虐殺と見る意見が大勢である。それによれば、この一連の事件は「アルメニア人ジェノサイド」と呼ばれ、21世紀に至る現代でも、オスマン帝国の主な継承国であるトルコ共和国を非難している。
参照:Wikipedia「アルメニア人虐殺」
アクセスは地下鉄Barekamutyun駅から徒歩15分ほどです。
虐殺博物館自体は地下にあります。この細長い建造物が目印です。料金は無料。
中に入ると何十枚というスライドでアルメニア大虐殺への過程が英語、ロシア語、アルメニア語で説明されています。
アルメニア虐殺の概要をもう少し説明すると…
1915~1916年にかけて、オスマン帝国(現トルコ)により150万人ものアルメニア人が殺されたとされています。150万人というと兵庫県神戸市の人口とほぼ同じ。1年で神戸市と同じ数の人々が殺されたということになります。
そうなった理由の一つとして、第一次世界大戦中にアルメニアがロシア側につく動きがあったため、当時ロシアと敵対していたトルコが隣国アルメニアののロシア化を恐れて虐殺を行ったとも言われています。
…こういった歴史が写真解説とともに展示されていました。
衝撃的な写真が何枚も残っており、幾度となく目を疑いました。
映像展示では、オスマン軍により殺されていく人々が映し出されていました。子どもを眼の前で盗られた母親の目、友をかばい嘆く友の姿、自ら命を絶っていくもの、抵抗して苦痛に死にゆく顔、裸で十字架にかけられた女性たちの姿…。その様は今でも脳裏に残るほどの衝撃でした。
こうした虐殺から逃れるため、アルメニア人は他国へ散らばっていきます(アルメニア人のディアスポラ参照)。日本ではあまり知られてはいませんが、アルメニアは離散大国です。
当時のアルメニア人の過酷な状況を物語っているような写真もありました。
100年が経った今も、この虐殺博物館には毎日のように来場者が訪れ、犠牲になった人々を供養し続けています。
20世紀最初の虐殺とも言われるアルメニア大虐殺。日本人にとっては関心の薄いアルメニアでの虐殺の歴史ですが、こういった出来事が事実であるということを改めて思い知らされたのでした…。
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