世界一周小説「モンゴルの雪」(前編)

2013.10.04 10:00 
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自分が進むべき道に自信が持てない徹は、逃げるようにモンゴルへ旅に出た。ほこりが舞い、風さえ見えそうな大地に小屋がひとつ。「どうしてここに来たんだっけ?」。羊とヤクと暮らす老婆、オドとの二人きりの生活が始まった。

 

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はじめまして、武重謙(HPはこちら)です。ずっと夢見ていた世界一周旅行にとうとう出発しました。日本で小説を書き続けてきた僕が、世界一周しながらその土地からインスピレーションを得て短編小説を書く、という連載をさせてもらうことになりました。普段小説は読まないけれど、「海外に興味がある」という人に読んでもらいたいです。

 

 

モンゴルの雪

 

水を汲んでこい。

五十歳にはなるだろう女性、オドと出会った日に最初に言われた言葉である。いや、言葉でさえない。モンゴル語が話せない徹に対して、オドはバケツを二つ突き出し、遠くにかすかに見える川を指さしただけだ。

徹は長時間の移動で疲れている、と伝えることもできず、黙ってバケツを受け取り、水を汲みに行った。細々と流れる川で水を汲み、振り返ると家を見失うほどの広大な草原が広がっていた。埃を巻き込むせいで、風の動きさえも見えた。この何も無い場所であの女性と二人で暮らすことを考え、徹は覚悟を決めるように鼻から息を吐いた。


薪を割っておけ。

徹はバケツを持ち痺れた手を軽く揉み、黙って斧を手にした。

どうしてここに来たんだっけ? 斧を振り上げて考えた。日本にいる恋人のことを思い出し、それを断ち切るように斧を振り下ろした。

恋人は暗に、かつ明確に徹との結婚を望んでいた。徹としてもそれが正しい未来のような気はしたが、少しずつ外堀を埋められていくように、自分の運命が誘導されていくことが耐え難かった。

そんな折、転職が決まったのだった。有給消化で思わぬ一ヶ月の休暇を手にした徹は、逃げるようにモンゴルへとやってきた。どこの国でも良かったが、大国である中国とロシアに挟まれ、日本から近いにも関わらず、砂漠と遊牧民のイメージしかなかったモンゴルにあえて行くことにした。恋人が行きたがらない場所に行くということが自由を象徴しているような気がしていた。

 

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歩けば足跡がつきそうなほど埃っぽい、首都、ウランバートルで数日を過ごした。何の予定もなかったが、ラクダに乗って砂漠を歩いたり、馬に乗って草原を行くツアーに参加するのはなぜだか気が乗らなかった。

無意味にウランバートルを歩き回っているうちに、モンゴル北部の田舎町から仕事で来ているという男に出会った。

「暇しているなら、うちで働くか? 田舎で本当のモンゴルを見るといい」

男は会うなりそう言って、徹もすぐに乗り気になった。仕事をしていれば余計なことを考えなくていい。


十七時間バスに揺られ、ロシアとの国境近く、モンゴル最大の湖であるフブスグル湖があるその町に辿り着いた。町の真ん中を牛や羊の群れが歩き、その後ろを十歳にも満たない羊追いの少女が付いて歩く。

「なるほど、これが本当のモンゴルってやつなんですね」

「ここから車で三十分のところに働いてもらう家があるんだ」

男の車に乗って、道のない草原をきっちり三十分走り、その家についた。

「彼女がオドだ。オドに従っていればいいから」

男はそう言うと、また来るよ、と車で帰っていった。徹は埃を撒き散らし帰っていく車を眺めながら、とんでもない場所まで来たな、と感慨にふけっていた。

 

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薪が割り揃う頃、向こうの柵から両手にバケツを持ったオドが帰ってきた。年相応に丸くなった体を左右に揺らしながら、早口で徹に何かを言い、家に入っていった。付いて行くと、彼女は竈で火を起こし、バケツに入っていたミルクを温めた。水を足し、刻んだ葉を入れると、それをコップに注いだ。

塩味のミルクティーだった。癖のあるミルクの味に顔をしかめると、オドは心底面白そうに笑った。疲れた体を休めながら、スーテーチャと呼ばれるそのミルクティーを飲んでいると、オドはタンスから手作りのパンとバターのようなものを徹に差し出した。

こうして、オドとの生活が始まった。


オドは羊とヤクを飼って暮らしていた。ヤクは牛から長い毛の生えたような家畜で、オドは毎朝ヤクの乳をしぼり、ヨーグルト、チーズ、バター、スーテーチャを作った。

徹は毎日、水汲みと薪割りから始まり、羊の糞掃除、家畜の柵の補修などをして過ごした。どこかから馬に乗った十二歳くらいの少女が現れて、一緒に羊の剃毛をしたこともある。オドは日が暮れるまで仕事をやめなかった。徹もそれに付き合うように、朝から晩まで働いた。

 

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夜はスーテーチャを飲みながらオドと二人で過ごした。徹は持ってきていたモンゴル語辞書を片手に、少しずつ彼女のことを理解しようとした。

オドは結婚していたが、夫は数年前に亡くなったらしい。子どもはいるが、町に行ったと言う。どうやってこの毎日の仕事をこなしているのか疑問だったが、徐々に分かってきた。

彼女の家には、毎日のように誰かが訪ねてくる。そして、必要があれば何か一つ二つ作業を手伝って帰っていく。オドは必ず、その人たちにパンとスーテーチャを差し出した。こうして、近所の人ーーと言っても隣の家は霞んで見えるほど遠いーーに助けてもらいながら生きているのだった。


二週間ほどたったある日、オドは遠くの丘を指さした。徹にスコップと針金の束を渡し、付いてこいというように手を振った。

何かの補修があるのだろう。オドの後ろを付いて歩くが一向に何も見えてこない。

突然、オドが空を指さし鳥が羽ばたく真似をした。徹も空を見上げると、頭上を鷹が旋回していた。オドは笑いながら、鷹が地上にいる小動物を狩る様子を真似した。

鷹はそうやって生きている。

そう言っているようだった。そして、足を速めてまた何かに向かって歩き始めた。これがオドの生き方だった。

一時間ほどしてようやく見えたのは、小さな小屋と朽ちた家畜の柵だった。

 

後編へ続く

 

文・写真:武重謙

 

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「何かを作る」というのが大好きで、いつの間にか小説を書くようになる(雑誌【大衆文芸】にて掲載)。世界一周を夢見てコツコツと貯金をし、30歳になりようやく出発。武者修行も兼ね、旅をしながら小説を書くスタイルに落ち着いた。 旅の様子は婚前世界放浪記で公開中。 小説:父の筆跡・秋明菊の花びら、ほか

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