かつてイランには、「ここには世界の半分がある」と言われるほど栄えた時代がありました。その象徴として名を馳せたのが、イスファハーンはイマーム広場。精密な幾何学文様で覆われた荘厳なモスクや、宮殿の数々をまとめてみました。
どうも、高校時代世界史だけ学年1位だった三矢です。今回はイランはイスファハーンの世界遺産、イマーム広場をレポートします。
※写真はすべてクリックすると拡大します。是非、フルサイズで精密な文様を堪能してください。
イマーム広場はイランの首都テヘランの南約340kmに位置するイスファハーンの中心にあります。
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この広場はコーランに記された楽園を手本として作られ、その大きさは南北510m、東西160mあります。
イマーム広場は、かつて「王の広場」と呼ばれ、正式名称は「世界の肖像の広場」である。1598年、首都をイスファハーンへ移したサファヴィー朝のシャー・アッバース1世は、大規模な都市計画にもとづいて新しい市街を旧市街の西南方に建設しはじめた。その中核となったのが、イマーム広場である。wikipediaより引用
"イラン建築の最高傑作" マスジェデ・イマーム
マスジェデ・イマームはサファヴィー朝5代皇帝・アッバース1世の命により1630年に完成しました。その美しさからイラン建築の最高傑作と呼ばれています。
マスジェデ・イマームはイランのモスクでは一般的なペルシア様式で建てられており、トルコのオスマン様式、インドのムガル様式などに多大な影響を与えました。
凝視しても何がどうなっているのかよくわかりませんが、とにかく美しいです。
イスラム世界では偶像崇拝の否定から、このように抽象的な幾何学文様が発展しました。
"信者の祈りがこだまする" 中央礼拝堂
正面からではドームが見えませんが、横に回り込むとドームやミナレット(尖塔)がよく見えます。タイルの青と空の青がなんともいえない調和を見せています。
モスク観光でチェックしてもらいたいのが、中央の窪んだ部分。ミフラーブといってメッカの方角(礼拝する方向)を指し示した重要な装置です。
ミフラーブの右手にあるのがミンバル。イスラム教の導師、イマームがこの上から説教したりコーランの朗読を行ったりします。
ドームは外側のドームと内側のドームの高さが異なる二重構造になっていて、音が反響するようになっています。
イスラム教の聖典コーランの上に置かれている石は、シーア派の信者がお祈りするときに使うお祈り石。あらかじめ床においておき礼拝で座礼をするときにこの石に額をつけます。
"王族専用のモスク" マスジェデ・シェイフ・ロトフォッラー
優しいクリーム色のドームが印象的。このモスクは王族専用で中庭やミナレットがありません。
黄色を多用し、美しい曲線で彩られるドームは見ていて思わず溜め息が漏れるほど。このモスクは1601年に着工してから1618年に完成するまで実に17年もの歳月を費やして作られました。
このモスクには地下室があります。シャー(王)の妻たちがここで礼拝を行ったそうです。
"イラン最古の高層建築" アーリー・ガープー宮殿
建物の裏側から見るとよくわかりますが、アーリー・ガープー宮殿はイラン最古の高層建築です。サファヴィー朝の第5代シャー・アッバース1世の時代に2階まで作られ、アッバース2世の時にテラスと3~7階が作られました。
テラスからはイマーム広場を見渡すことができます。シャーはこのテラスからポロ観戦を楽しんだそうです。
これらの穴は余分な音を吸収し、美しい演奏を楽しむために開けられたのだとか。そんな機能ですらここまで美しく仕上げる建築家の気概に感服します。
今日はイスラム教の安息日金曜日だったので、マスジェデ・イマームの前に信者が詰めかけていました。
ラマダン中だったのもあってか、夕方からは家族連れが広場に集まってきます。みんな一日の断食を終えた最初の食事・イフタールを今か今かと待ちわびています。
夜になると広場は美しくライトアップされます。まさに「世界の半分」と言える美しい世界遺産でした。
文・写真:三矢英人
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