旅作家・武重謙が世界一周しながら、各地でインスピレーションをえて書く世界一周小説FACTORYのミャンマー編です。※この文章はフィクションです。
photo by Mark Abel
茶を愛する人々
山肌の斜面に茶畑が広がっていた。逃げてきたつもりの場所によく似ていた。
実家の茶畑を継ぐことへの漠然とした不満から、恭司は東京の大学へ行った。顔を見れば「家を継げ、茶を継げ」と繰り返す父から距離を置きたくて、そのまま東京の飲料水メーカーに就職した。それでも盆や正月のたびに実家に顔を出していたが、今年の正月の一件以来、さらに距離を置くようになった。
「盆の休みは海外に行く」
実家にはそう伝え、ミャンマーにやってきた。家や茶から逃げるつもりだったが、思い掛けずミャンマー人は茶を愛した。毎食テーブルには茶が出された。茶を片手に、何時間でも語らえるのがミャンマー人なのだと、現地の人は言った。それだけに旅先で知り合った人にうっかり「実家が茶農家だ」と口を滑らせ、嬉しそうに「知り合いに茶農家がいるから見に行こう」と誘われると断れなかった。
山肌に広がる茶畑
北部の町マンダレーから山道を車で四時間。茶畑は山肌の斜面に広がり、菅笠を被った男女が茶を摘んでいた。
茶農家は突然やってきた僕を歓迎し、自家製の茶を淹れてくれた。
「親は何をやってるの?」
ひと通りの自己紹介を終えると、一家の長男であるコ・ソーナインが尋ねた。年は二十歳そこそこに見える。
「お茶の農家だよ」
「うちと一緒だ!」
コ・ソーナインは一家の中で唯一英語が話せた。彼の両親は言葉が分からないながらも、恭司とコ・ソーナインのやりとりを和やかに見ていた。コ・ソーナインが笑えば、つられて笑いさえした。
「あと二年もすれば、政権が変わって、もっと自由な商売ができるようになるんだ。そうしたら製茶工場を作るんだ。恭司は茶農家は継がないの?」
「もう継げないんだ……」
窮状
学生の頃は「東京に出たい」「大きな仕事がしたい」という漠然とした思いで、家業を継ぐことを拒否し続けてきた。就職活動の末、皮肉にも採用されたのは有名飲料水メーカーの営業部だった。茶農家の出であることが好評価の材料だったと、入社して二年後に言われ、気付けばペットボトルのドリンクを売り歩いていた。
大企業の営業として働くことは、思い描いていたような大きな仕事ではないことが分かった。全ての仕事は現実的な大きさに分割され、社員に分配された。大企業になればなるほど、自分のしていることと社会の繋がりが遠く感じられた。
このままサラリーマンとして生きていくか、あるいは農家として生きていくか、初めて迷いが生まれたとき、東北の震災が起きた。
震災から始まった放射線問題の打撃を実家も受けた。出荷すれば「国民を殺す気か!」と罵られるが、出荷を止めれば一家が困窮する。どちらも地獄だった。茶を摘む季節労働者も雇えなくなり、とうとう家族だけで茶摘みをしなければならなくなった。
「――だから、お前も茶畑の仕事を手伝え」
父はいつになく強い口調になっていた。
「もう跡取りの話はやめてくれ。どっちにしろ、もう畑はダメだ」
正月の帰省の際、苛立ちついでに口を突いて出た言葉に、父は激昂し、口論の末、そのまま恭司は東京に帰った。売ることも許されない実家の茶畑に帰るつもりなどなかったし、この状況になっても茶を摘む父に呆れていた。
数日後に母から電話があり、「あのあと、父が泣いていた」と知らされた。知ったからと言ってどうすることもできなかったが、あの父が泣くことなどあっただろうか、と妙に感慨深い思いがした。
茶の記憶
「――だから、もう継ぐことはないよ」
恭司が簡単に事情を説明すると、コ・ソーナインは眉をひそめた。
「ねぇ、良かったらお茶を摘んでみる?」
差し出されるままに菅笠を被った。日本のそれに似ていた。似合うのか、似合わないのか、コ・ソーナインは恭司を見て笑った。
茶葉に触れることも久しい。しばらく指先で葉を撫でていた。青臭い葉の匂いが身体に纏わり付いた。幼い頃に駆り出されて、手伝わされたのを思い出した。
「ここで作ったお茶をミャンマー中の人が食べるんだ」
「食べる?」
コ・ソーナインはミャンマーの食べるお茶について説明してくれた。いわゆるお茶として飲むのは一番茶で、それ以降の茶葉は発酵させ、油に漬け、お茶請けのようにして食べるのだという。
「日本では食べないの?」
「さあ……」
恭司は首を傾げた。父なら知っているだろうか?
「実家の茶畑や、家族はどうなるの?」
さあ、とまた首を傾げるしかなかった。その様子をコ・ソーナインは酷く寂しそうな顔で見返した。会話の意味も分かっていないコ・ソーナインの両親も落ち込んだ顔をしている。
どうして父と一緒に考えてやれなかったのだろう。自分が継ぐか継がないかばかりを考えて、父が困っている、家族が困っている、という事実に至らなかったことを恥じた。
「痛ッ!」
指先から血が滲んでいた。葉で切ったらしい。
血が膨らみ球のようになった。球が大きくなり、崩れて流れそうになって、慌てて指先を咥えると鉄の味が口の中に広がった。
幼い日に母も同じように切った指先を舐めてくれたことがあった。そしていつも同じ民謡を口ずさんでいた。
夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
「あれに見えるは茶摘みぢやないか
あかねだすきに菅の笠」
思わず歌っていた恭司の歌をコ・ソーナインと彼の両親が手を止めて聴いていた。
帰り際「土産に」と手渡された袋いっぱいの食べるお茶なら、できなかった帰省の穴埋めになるかもしれない。
帰りの車中から見た、遠くなる山肌の茶畑が故郷のように懐かしかった。
文・写真:武重謙
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