ずっと疑問に持っていたこと
こんにちは!旅する理科教師ぞーしきです。
僕は先日45か国に渡る世界一周から帰国しました。旅中、ずっと疑問に持っていたことについて、最後に記事にしたいと思います。
ストリートチルドレンについてです。貧国に訪れれば必ず出会う彼ら。みなさんはどのように対応しているでしょうか?今回僕は、その中で出した一つの答えをみなさんにご紹介するとともに、もう一度彼らについて考えるきかっけとなるようこの記事を作成しました。ご覧ください。
各国で会ったストリートチルドレン
ストリートチルドレンとはどういった子ども達を指すのでしょうか。wikipediaによると「都市の路頭で生活している子供。また、家を持っていながら、金銭を得るために路頭で物乞いなどをする子供も含まれる。」とあります。こういった子たちとは貧国と呼ばれる国々で良く会いました。どのような子たちと出くわしたか簡単に紹介していきます。
インドネシアの路上で出会った子は、遠くに僕を見つけるとじっと見つめ続け、僕が近づくとそっと右手を差し出してきました。その後、人差し指と親指をくっつけて口に運ぶ素振りをして僕に食事代をくれるようにお願いしてきました。
同じくインドネシアで出会ったこの子は大きなラジカセを持って、音楽を鳴らしながら近づいてきて踊り始めました。一通り終えると、お金をねだってきました。もちろん学校も行っておらず、前日の夜からここでこのようにしてお金を集めていると言います。1人で道端で寝たそうです。
カンボジアのアンコールワットの中では多くの子どもが商品を売ってきます。この子も笛を数ドルで売りつけてきました。
足元を見ると、小石が落ちる道の中、裸足でした。アンコールワットは本当に売り子が多くてびっくりしました。
お金の要求の仕方にもいろいろあります。ネパールで会ったこの女の子は、可愛い笑顔と流暢な英語で話しかけてきました。挨拶し一緒に写真を撮るように促されその通りにすると、お金をねだってきました。
バングラデシュでも道端で多くの子ども達を見かけました。お腹がポッコリしているのは栄養失調でしょうか。
この子は目に障害があるようで、ずっと道の端に座っていました。健常者でも生活するのが大変なのに、この子はどうやって生きていくのでしょうか。
もちろん、アジアだけではありません。アフリカのエチオピアでもたくさんの子ども達が路上で昼間から横になって寝ています。子ども達と目が合うとやはり手を差し出してきます。
手首に血が滲む子ども
その中でも一番印象的だったのはインドで出会った子です。首都のニューデリーの駅から続く大通りを歩いていると、「ヘイ」という子どもの声がしました。振り向くとみすぼらしい格好をした、10歳にも満たない子どもがお金を要求してきました。いつもと違うのは泣きそうな顔と左手首に滲む血液です。恐らくお金を得るために自分(もしくは親)が切り付けたのでしょう。僕はその衝撃的な光景を目の当たりにして、「そんなことしちゃダメだ」としか言えませんでした。無力な自分を実感しました。
僕らはなぜ「無視」するのか?
こういった子ども達を目の前にして多くの人達はどうしているでしょうか。恐らく無視するが一番多いと思います。その理由を考察してみました。大きく五つあると思います。
旅人の内的要因
1、お金が足りない
貧国に訪れるのは貧乏旅行者が多いと思います。そうすると10円単位で節約して生活しているものです。そんな中、100円なんて気軽に渡せるものではないです。
2、自己満足にしかならない
例え今この場で目の前の子どもに100円、一食分与えたとしても、この問題の根本的な解決にならない。その場での自分の同情心を埋めたいという、単なる自己満足であるという考えです。
3、恥とめんどくささ
旅行者の多いスポットではみんなが無視している中で自分だけ与えるというのは目立ってしまうという日本人的な考え方です。それに加えて、彼らに慣れてきてしまうと立ち止まって財布を出すという行為がめんどくさくなってしまう事もあるでしょう。
ストリートチルドレンとその親からの外的要因
4、危険
国によっては彼らに近づくと、集団で取り囲まれ財布やケータイが抜かれるという事件が発生します。
5、親が金目当てで彼らを傷つける
障害を持つ子供の方が同情を引きやすいもの。子どもがお金を貰いやすくするように親がその子の腕を取ってしまうこともあるようです。僕がインドで出会った手首に血が滲む子もその可能性があります。そういった子達にお金を与えると被害が進む事が考えられます。
僕は最初にフィリピンで留学エージェントに危険だから近寄るなという風に注意を受けました。なので、最初は外的要因を理由にして、彼らを無視する事が多かったです。でも、そういった外的要因や、自己満足という内的要因を盾にして、本当は単純にお金をあげたくなかったり、恥ずかしさもあるのではないかと自問するようになりました。本当に、目の前に困っている子どもがいても「何もしない」が正解なのか旅をするにつれてわからなくなってきました。そこで僕はストリートチルドレンについて専門的に考えている団体を訪れてみることにしました。
ストリートチルドレンの自立支援施設へ
僕はベトナムでJASSベトナムの「子どもの家」を支える会というストリートチルドレンの支援団体を訪れました。ここは、子供たちの衣食住、通学を保証し、職業訓練まで行っているボランティア団体です。ここから、名門の医大に入った子も少なくないといいます。詳しくは、僕のブログで。
そこの代表である小山先生とお話させていただきました。その際、僕は思いきって「僕ら旅人はストリートチルドレンについてどのような対応を取るべきか」と質問させていただきました。その回答は「答えはない。子どもたちを見てどう行動するかはその人のバックグラウンドによる。」とのことでした。
やはり、難しい問題でした。しかし、僕の中で出した答えは「職業訓練」です。お金を稼ぐ方法を教えて自立させることが唯一子どもを救う方法で、教育者としても恥じない対応だと感じるようになりました。
こどもたちと鶴を折って販売する
職業訓練は小山先生の様に地に足を着けて、初めてできるようになるもの。僕ら旅人でも出来る事はないのかを考えました。その結果、鶴の折り方を教えてあげて、一緒に道端で販売してみようという考えが生まれました。紙からお金を稼げたら、彼らも困らないし、素敵だなって思いました。
その後、インドで列車を待っている時、真っ黒になった洋服を着た女の子が僕の前に現れました。僕はお金を渡す代わりに、折り紙を取りだしました。初めは恥ずかしそうにしていた女の子も、友達を呼び小さな折り紙教室が出来ました。彼らが一折する毎に折り紙が黒くなっていくことは今でも忘れないです。そして、10歳程度の言葉が通じない子に鶴を教える事の大変さを痛感しました。しかし、子供たちはほとんど僕が折った鶴を大事そうに持ち帰り、笑顔でお別れすることが出来ました。僕の安直なプロジェクトに呆れるとともに「無視せずに笑顔にする」という別の正解も得られたような気がしました。写真は別の子たちです。
また、折り鶴の需要がどのくらいあるのか街角に立った事も在りました。その結果、折り紙は日本のものという考え方が間違っていることに気づかされました。イランでは通行人の人達がカエルや船などを簡単に折っていました。つまり、需要などありませんでした。
この二つの要因により、僕の小さな「職業訓練プロジェクト」はあっという間に挫折してしまいました。
僕が見つけた答えとは
その後、僕がストリートチルドレンにどのように対応していたのかをお伝えします。まず、「笑顔にすること」を心掛けていました。無視することは簡単ですが、笑顔にすることはとても難しいです。鶴の件からこの答えは間違えではないと感じています。
もう一点「職業訓練」というキーワードから、何かしらの仕事をしている子にはお金を差し出すように心掛けるようになりました。やはり仕事が彼らを救い出す近道だと思います。なので、例えば歌を歌う子どもや飴を販売する子どもには対等な賃金を差し出して、彼らの道が間違っていないことを後押しするようにしています。子どもが正しいことをしていたら、正しいと教えてあげるのが、旅人の前に大人としての役目かなと思うのです。
みなさんはどうしてますか?
小山先生の言った通り、これに答えなんてないと思います。旅の終盤で出会った約70歳の旅人の大先輩たちも「毎回お金をあげる」という人もいれば、「そういう葛藤があるだけで良いんだ」という人までいました。人それぞれの回答だと思います。さて、最後にSNSを通して教えてください。ストリートチルドレンに出会った時、あなたはどうしていますか。どうする予定ですか?
※この記事をもってぞーしきの寄稿は終了となります。ご愛読、ありがとうございました。
文・写真:ぞーしき
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