旅に出てはじめて知った「日系人」という存在について

2014.11.04 12:00 
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ハワイのパールハーバーの資料館にて「ハワイの日系人」の歴史を知り驚くとともに、この旅で出会ったパラグアイの日本人移住者……日系4世カナダ人の女の子との出会い……が思い出されました。

 

こんにちは。世界一周アラサー女子のYUNAです。

 

きっかけはパールハーバー

映画にもなり、日本人との繫がりも強いパールハーバーの資料館はオアフ島のこの辺りにあります。

 

日本軍が行った真珠湾攻撃とは、「1941年12月7日(ハワイ時間)休日である日曜日を狙ってハワイオアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空機および潜航艇による攻撃である」とあります(wikipediaより引用)。

現在、
湾内のフォード島側には国定歴史建造物として、大日本帝国海軍による真珠湾攻撃で撃沈されたアメリカ海軍の戦艦「アリゾナ」などの5つの記念施設が一般に公開されております。

それらの展示の中で私が一番印象に残ったのが、「ハワイの日系人たち」の様子でした。そして、私がこの1年の旅で出会った日系人たちを思い出すことになりました。パラグアイでの日本人移住区の存在、日系4世カナダ人の女の子との出会い、それらをきっかけに「日系人」を少しでも知る事が出来ました。

 

どんな場所?

パールハーバーは、ホノルルのホテル街から、市バスで40分程の少し郊外にあります。現在では、公園の様な場所の中に資料館、複数の記念施設が併設されています。
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ビジターセンターには二つの博物館があります。Road to War(戦争への道)とAttack(アタック)に分かれています。

当時の写真や、様子、人々の証言、模型等、様々な形で展示を見学する事が可能です。もちろん、日本語音声ガイドもあります。
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中でも私は、日系人の証言や戦後の日系人の状況に強い印象を覚えました。当時、多数の国からハワイへ移民が行っていたのですが、戦前は各国移民間で平等の扱いを受けていたのが、戦中・戦後に突如日系移民のみが迫害された様子等も展示されていました。
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ハワイと日系人の関係?

ハワイを訪れて驚いた事が、見た目が日本人(アジア人)に似ている人の多さでした。私は、訪れるまでハワイに日系人が多いという事実自体を知りませんでした。

wikipediaにも、「ハワイにおける日本人移民」という項目があり、「1868年以降、労働力として日本からハワイへ移住していった人びとを指す」とあります。お土産屋さんのおばさんも、見た目はアジア人、片言の日本語の人を良く見かけました。尋ねると、移民2世だと言っていました。

wikipediaには「ハワイにおける移民は、急増するサトウキビ畑や製糖工場で働く労働者を確保するため、1830年頃より始められ、関税が撤廃された1876年以降にその数が増え始めた」「1924年の排日移民法成立まで約22万人がハワイへ渡っている」とあります。そして……その実態として、「1885年に結ばれた日布移民条約によりハワイへの移民が公式に許可されるようになった。官約移民と呼ばれ、1894年までに約29,000人がハワイへ渡った」。官約移民は「『3年間で400円稼げる』といったことを謳い文句に盛大に募集が行われたが、その実態は人身売買に類似し、半ば奴隷に近かった。労働は過酷で、現場監督の鞭で殴る等の酷使や虐待が行われ、1日10時間の労働で、休みは週1日、給与は月額10ドルから諸経費を差し引かれた金額であった」とあります。

今のように、インターネットも普及していない世界で、日本から遠く離れた国へ移住し、苦労したことは、私たちの想像を超えるものだと思います。

 

パラグアイの移民が強いられた苦労

ちょうど1年程前に訪れた、パラグアイも日系移住者の多い国でした。

イグアス居住区では資料館へ行き、日系移住者1世のお父さんのお話も聞く事が出来ました。私は、日本でブラジル日系3世の友達が居たこともあり、ブラジルに日系人が多い事は何となく知っていましたが、パラグアイにも移住者が多い事は、この時初めて知りました。
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そのお父さんからの話で、移住者の方々の状況が悲惨だった事はパラグアイでも同じでした。ジャングルの様な原生林を耕す事から始まり、最初はまともに農作物も育たず、生活するに出来なかった話や、「パラグアイへ行けば、良い生活が出来る」と教えられて来たが、言葉も通じず大変だった話を聞かせてもらったことを思い出しました。

今では、「イグアス居住区」という形で小さな村があり、農協があり、のんびりした日本の田舎町の雰囲気を感じました。
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現状の移民の活躍

しかし、ハワイにしても、パラグアイにしても、現在では移民の活躍が国の経済を支えるまでの信用と結果を生んでいるようでした。

ハワイでは「第二次世界大戦下では、アメリカ本土の日本人移民と日系アメリカ人がアメリカ政府により強制収容されたが、ハワイにおいては日系人人口が多く、その全てを収容することが事実上不可能である上、もし日系人を強制収用するとハワイの経済が立ち行かなくなると推測されたことから、アメリカへの帰属心が弱く、しかも影響力が強いと目された一部の日系人しか強制収容の対象とならなかった」(wikipediaより引用)とあります。

パラグアイでは、「イグアス移住地の日本人がパラグアイではじめた大豆の不耕起栽培(ふこうきさいばい)はその後、パラグアイ全土にまで広まり、パラグアイは世界第4位の大豆輸出国へと成長します。パラグアイの農業分野において、日系人は大変重要で欠かせない存在となっているのです」(海外移住資料館より引用)とあります。

実際、大きな大豆畑も見せて頂きました。その大きさにただただ驚くばかりでした。ジャングルだった 」場所をここまで整った畑にするには、相当な苦労があっただろうなと感じます。
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個人のアイデンティー

日本人の両親から生まれ、日本で育った私は「日系人」「日系移民」というのが、いまいちピンときていませんでした。むしろ、恥ずかしい話ですが、無知がゆえに何も感じていなかったのだと思います。

パラグアイに滞在中、みんなでお酒を飲んでいる際、他の旅行者が何気なくパラグアイで仲良くなった日本人移住区の2世の方に、不躾に聞こえるかもしれませんが「自分は何人だと思うのか?」を尋ねている場面に遭遇しました。すると、「パラグアイ人」と答えていました。その方は、パラグアイで生まれ、パラグアイで育っています。しかし、その方の見た目は日本人で、日本語も流暢に話されていたので、その答えに私は何だか不思議な感覚を覚えました。

 

その後、クロアチアを旅行していた際、偶然、日系カナダ人4世の女の子(写真左)と仲良くなり、1週間程共に行動しました。彼女は、日本語を話す事も書く事も読む事も出来ませんでした。そして、彼女は「私は血は100%日本人、見た目もアジア人だから、よく「どうして日本語話せないの?」と聞かれる。でも、私はカナダ人よ。日本人じゃないわ。見た目は関係ないと思わない?」と言っていたのがとても印象に残っています。
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特に怒ったりしていた訳ではありませんでしたが、おそらくこれまで何度も同じ質問をされて、そう感じる事が多かったのでしょう。さらには、祖母は日本語しか話せないらしく、「おばあちゃんに日本語で葉書を出したいから、訳して書いて!」とお願いされました。家族間で言葉でやり取り出来ないのは、おばあちゃん・孫どちらの立場からしてもきっと複雑な気持ちがあるだろうなととても切ない気持ちになりました。

 

日本文化の継承

パラグアイの場合、現状2世が30〜40代という感じでしたので、まだまだ日本語や日本文化は継承されているようです。しかし、自然に継承されているのではなく、パラグアイ日本人会連合会等が様々な政策や努力の元に継承されているという印象でした。盆踊りや成人式、日本語での教育等を行っているようです。

こちらはピラポ移住区での盆踊りです。私は日本でも全く踊った事がありませんでしたが、パラグアイで踊る事になるとは、不思議な感覚でした。
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結局、「日系人」とは?

この1年4ヶ月の間、その様な様々な出会いから、「日系人」「日系移民」を感じる機会を得ていました。もちろん、日本に居た頃はその事実さえも知らずに生活していました。しかし、同じ日本人が戦前・前後を通して、世界各地に移住しており、活躍していることを知る事が出来ました。
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今までは何気なく使っていた「日系人」ですが、それぞれの渡った「国」に歴史の違いがあり、それぞれの育った「個人」に違いがあり、そのそれぞれは単なる一個人にすぎないというのを痛感しました。何も知らずに「日系人」と一括りにすることは容易です。日本で生まれ、日本で育ち、日系人と関わる人も少ないかもしれませんが、まずは「知ること」から全ては始まります。知ることによって、歩み寄りも生まれ、更にお互い「知ろう」と思えるようになると思います。

歴史が古く、多いため、私の知識だけですべてをまとめる事は出来ません。が、知る事のきっかけになって欲しいと思い、今回は私の経験した事を中心にまとめました。みなさんに何か少しでも届いていれば幸いです。

 

文・写真:YUNA

 

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YUNA

YUNA

1985年大阪生まれ、大阪育ち。理学療法士として5年間働いた病院を飛び出し、世界を回ろうと決断。社会人として、アラサー女子として、関西人として、色々な事を柔軟に吸収したい!海外の面白ポイントにツッコミを入れたい!と思って旅しています。

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