リトアニアで約6000人もの命を救った「命のビザ」を発行したことで知られる日本人、杉原千畝。彼に関して学べる「杉原千畝記念館」がリトアニア・カウナスにあると聞き、行ってきました。
リトアニアの杉原千畝記念館へ
こんにちは!自称マジシャンせがわーるどです。大学で勉強しているロシア語を使い旧ソ連諸国を周っていました。今回はリトアニアというところへ行ってまいりました。旧ソ連を構成していた国の一つで、バルト三国として有名な国です。
(旧ソ連だけ旅する連載の過去記事はこちら)
リトアニアの街並みは教科書で見たことあるような中世ヨーロッパっていう感じで落ち着きあるきれいな街でした。
By NuclearVacuum – File:Location European nation states.svg このベクターイメージはInkscapeで作成されました., CC 表示-継承 3.0, Link
リトアニアは、ヨーロッパの共和制国家。バルト三国の中で最も南の国。首都はヴィリニュス。ソ連の構成共和国の一つだったが1990年、独立を回復した。Wikipedia「リトアニア」参照。
杉原千畝記念館はカウナス駅から徒歩10分
今回は首都のビルニュスから電車で1時間ほどで行ける、カウナスにある杉原千畝記念館へ行ってまいりました。カウナス駅から徒歩10分のところに杉原千畝記念館(ウェブサイト)はあります。それにしても、リトアニアという国のこんな街にまで日本人の記念館があるなんて驚きです。
杉原千畝記念館の中へ
杉原千畝記念館に入ると、日本人に慣れているのか、気さくなリトアニア人がこんにちはとあいさつしてくれました。
学生料金で1.5ユーロ。これはありがたい。中に入ると、まずは杉原千畝についてのビデオを10分ほど上映してくれました。(日本語で!)
「命のビザ」杉原千畝
杉原千畝とは一体どんな人なのでしょうか?キーワードは「ビザ」です。
僕が調べたところによると、杉原千畝は20世紀半ばリトアニアにて領事代理として働いていました。ナチスドイツにより多くのユダヤ人が迫害を受けていた時代、ポーランドからリトアニアに多数の難民が流れ込みました。
このままリトアニアにいても命を落としてしまうと思ったユダヤ人の多くはナチスの勢力が及ばない第三国であり、税関のないキュラソー島へ移住することになりました(詳細はキュラソー島「日本人との関連」項を参照)。
そこで必要となってくるのが日本の通過ビザです。多くの人がリトアニア・カウナスにある領事館、日本の通過ビザを求めて杉原千畝を訪ねに来ました。
日本政府の意向としてはユダヤ人に通過ビザを発給してはならない、というものでした(この理由として日本に大量の外国人の流入を防ぐことが一つ、もう一つは当時日本は枢軸国としてナチスと同盟関係にあったため)
このままでは、多くのユダヤ人が命を落としてしまうということで、杉原千畝がとった決断は本国日本の命令を無視して通過ビザを発給するというものでした。その数およそ6000人分。
この行動は、外交官としては職務を投げ出したことになりますが一人間としてこの行動は敬意に値します。杉原千畝記念館でビデオを見ながら、本当に感動しました。
杉原千畝の家が使われた杉原千畝記念館
この博物館は実際に杉原千畝が住んでいた家がそのまま使われています。杉原千畝の生い立ちが壁には載っており、英語はもちろん日本語表記があるのがありがたいです。
この杉原千畝記念館には数多くの日本人が訪れていたことがわかります。
出口にはリトアニアで有名なはちみつや、チョコレートが売ってました。
リトアニアに来たなら杉原千畝記念館へ
世界にはこのように偉業を成し遂げた先人である日本人の存在を知り、素直に素晴らしいと思いました。日本語でも紹介されているリトアニア・カウナスの杉原千畝記念館、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
(旧ソ連だけ旅する連載の過去記事はこちら)
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