旅作家・武重謙が世界一周しながらインスピレーションをえて書く世界一周小説FACTORYのタイ編です。※この文章はフィクションです。
マンゴーライス
きみ子は昨晩見たUFOの話をした。
「タイになんて来だもんだから、暑くって頭さおかしくなっだんだ」
とぐちるように言うと、沙苗は少し考えたあと「お母さん、それってもしかして……」と言いながら慌てて席を立った。
こちらの苛立ちや怒りに気付いていないのか、そんなものは分かっていて気付かぬふりをしているのか、きみ子には分かりかねた。
一方、沙苗がいなくなって、きみ子と二人で取り残されたソムチャイは緊張し、テーブルを見つめたまま動かなかった。テーブルの下で落ち着きなく足を揺すっているせいで、グラスの水が揺れていた。
しばらくしてウェイターがきみ子の前に皿を置いた。色鮮やかなマンゴーの横に赤や緑に色の付いた餅米が添えられていた。
「マンゴーライスです。タイのデザートなんです」
ソムチャイはこれだけ言ってひと息に水を飲んだ。
「おいしいんですよ」
ソムチャイは念を押すように言ったが、きみ子はため息をつくだけだった。
山形の実家を出て、東京の織物屋で働いていたはずの次女沙苗から「しばらく……、もしかしたら一生タイに住むことになる」と突然の連絡があった。
事情を訊ねても「いろいろハッキリしたら説明する」と、受け流すばかりだった。夫は身勝手な娘に怒り、「連れ返してこい」ときみ子に旅費を叩きつけた。
「あいつを東京に行かせたのは織物について勉強させて、家業の一部を継がせるためだ!」と、怒鳴りながらも寂しそうな夫の姿を見て、仕方なしにタイに飛んだ。
突然やってきた母に沙苗はタイ人男性を紹介した。浅黒く全身が引き締まっていて、一見すると日雇い労働者のようにも見えたが、白いポロシャツと折り目の付いたチノパンのおかげで知的な雰囲気もあった。
「ソムチャイというの——わたし、この人と結婚する」
席に着くなり、沙苗はそう言った。祝福や説得などといった感情より先に、きみ子はこのことを知った夫の怒りを思い、軽い目眩を覚えた。そして唐突にUFOの話を切り出した。昨夜、ホテルの窓から見た、ゆらゆらと揺れるあの光のことを……。あの瞬間から、この結婚の告白に至るまで、すべて夢であれば良いと思った。
「来た来た。これおいしいんだよ」
沙苗は戻ってくるなり、フォークでマンゴーと餅米を切り分けて口に運んだ。
「お母さんも食べてみて」
「こだなものいらね」
拗ねた母親をあやすように沙苗は笑って繰り返した。
「ねぇ、おいしいんだって!」
ねえねえ食べてみて、と沙苗は甘えた口調で繰り返しながら母の分を取り分けた。しばらくきみ子は膝に置いた手を動かそうとせず、口を結んで沙苗の顔を見ていたが、頑固に譲らない沙苗に負けて、前歯で噛むよう小さくひと口だけ食べた。
「ね! 果物とご飯って合わないと思ったら、これが意外に合うんだ。お母さんも甘い物には目がないでしょ?」
「ぼた餅みだいだな」
二人は目を合わせて笑った。
「いきなり結婚なんて言ってもお父さん怒るでしょ。だから、ちゃんと全部整理してから報告したかったんだ」
沙苗は食べ終わった後のフォークを名残惜しそうに舐めながら言った。
「整理って何を整理するのよ?」
「ほら気付かない?」
沙苗は来ている服の肩の部分をつまんで見せた。
「……あら、うちの生地で作ったの?」
家で代々作っている伝統的な柄のシャツだった。
「違うの。タイ北部はね、うちと一緒で絣織りで有名で、ソムチャイの家も織物屋なの。タイで日本の伝統的な柄の織物を作るのも面白いな、と思ってためしに作ってみたのよ。いいでしょ?」
「んなこと言ったって、お父さんばなんて説明すんの? 沙苗がいつか帰ってきて、家業を手伝ってくれるって楽しみにしてんのよ」
「——お母さんはどうしてお父さんと結婚して、織物屋に嫁いだの?」
「そりャ、織物も好きだったし、父ちゃんのことも好いてたし……」
「ね! おんなじよ」
沙苗は眉毛を上げて笑った。
「なしてタイなの?」
「ソムチャイがいるから……」
沙苗はソムチャイと目を合わせた。
「お母さんも、うちに来てください。タイの織物を見せます」
ソムチャイはきみ子に向き直って言った。
「おめェば『お母さん』なんて呼ばれる筋合いはねェ」
「お母さん!」
「——冗談。お父さんの代わりに言いだがっただけだ」
顔を引きつらせたままのソムチャイをよそに、沙苗ときみ子はまた笑った。
「ところで……」と沙苗はパンフレットをテーブルに広げた。パンフレットには空に浮かぶ無数の灯りの写真があった。
「お母さんが見たUFOってこれのことでしょ」
「んだ。でも一個しかながった」
「これね、ローイ・クラトンっていう灯籠を空に飛ばすお祭りなの。日本で言う灯籠流しね。お祭り当日は何千も何万も熱気球
が飛んでキレイなんだけど、数日前から早めに飛ばす人もいて、お母さんが見たのはその一つだと思う」
「んで、そのお祭りはいつなの?」
「実はね……」
沙苗はきみ子の手を引いて店を出た。外はいつのまにか暗くなっていた。
沙苗が顔を上げるのにつられて空を見上げると、夜空に無数の灯りが飛んでいた。大量の蛍が空に登っていくようだった。
「まだまだこれからよ。どんどん増えていくんだから」
そう言いながら沙苗がソムチャイの手を握るのを、きみ子は気付かないふりをして、また空を見た。
タイでは灯籠は空に飛ばすし、マンゴーとご飯を一緒に食べるのだと、帰ったらお父さんに話して聞かせてあげよう、ときみ子は独り思った。
了
文・写真:武重謙
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